クルアーン(コーラン)をご存知ですか?
イスラム教の根本経典であり、これを読まずしてイスラム社会を理解することはできないとまで言われる本です。
しかしこの本は、日本人にとっては非常に難しい本になります。
実はこの「クルアーン」は旧約聖書、新約聖書の続編にあたるような位置付けの本になります。
そのため読むためには、歴史の知識の他、旧約や新約聖書の知識、クルアーン成立の背景や特徴、などおよそ日本人と縁のないような知識が必要になります。
この難解な「クルアーン」をできるだけわかりやすく解説してみようと思いますので、興味ある方はご覧になってみてください。
このページではクルアーンの成立、内容、特徴、世界観をざっくり解説します。
目次
まずはクルアーンの成立をざっくり解説!
冒頭にも書きましたが、「クルアーン」は 旧約聖書と新約聖書の続編的な位置付けになる書物です。
ここではその成立に至るまでの歴史的過程をざっくりとご紹介します。
「旧約聖書」では神(ヤハウェ)が世界を創造します(紀元前40世紀頃)。
奴隷状態だったユダヤ民族はエジプトを脱出し、預言者(神の言葉を預かる者)モーセを通じて神と「神の十の戒めを守る代わりにパレスチナの地を与える」という契約を結びます(紀元前15世紀頃)。
ユダヤ人たちは、その約束通りパレスチナの地に攻め入り定住を果たしますが、やがて神への信仰心は薄れます。
その後ユダヤ民族に次々と災いが降り注ぐと、ユダヤ人達は神が自分達を導く救世主を遣わすであろうと預言(神の言葉を預かるという意味)します。
そんな中、預言通りイエス・キリスト(キリストはギリシャ語で救世主の意味)が登場します。
※ユダヤ人こそ神に選ばれた特別な民族と考える「ユダヤ教」は、救済されるのもユダヤ民族だけと考えられるため、世界に広がることはありませんでした。
「新約聖書」では、イエスが聖母マリアを通じて神(ヤハウェ)の子として誕生します(紀元前4年頃)。
イエスは数々の奇跡と愛の教えにより人々の心を掴みますが、反感を買い磔刑に処されました(紀元30年頃)。
「これにより人々の罪をあがない、天国の扉を開いた」「神を信じれば誰でも平等に救われる」というキリスト教の教義が、後に弟子たちによって作られ世界中に広がります。
※キリスト教では、神(ヤハウェ)、イエス、そして聖霊を合わせて神であるとする「三位一体」という考え方を取ります。
これに対しムハンマド(マホメット)はさらに神(ヤハウェ=アッラーフ)の言葉を預かります(紀元610年頃)。
モーセやイエスのもたらした言葉は確かにそれ自体は正しかった。
しかしユダヤ教徒もキリスト教徒も神の教えも全く守っていない。
だからこそムハンマドを最後の預言者(神の言葉を預かる者という意味)として神の言葉を授ける。
そしてこのムハンマドが感じ取った神(アッラーフ)の言葉を記したものが「クルアーン」という位置付けになります。
したがって「旧約聖書」は年代も作者もバラバラの文書の寄せ集めであるのに対し、「クルアーン」は全てムハンマドが感じ取った神の言葉ということになります。
そしてこのような経緯があるため、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教における神は、呼び名は異なりますが原則として同じ神様を指します。
「主な登場人物の紹介」のページでもう少し詳しく説明します。
クルアーンの特徴、内容をざっくり解説!
クルアーンを読むにあたって、あらかじめ知っておきたい特徴や世界観、などがあります。本編を理解をするためにも重要ですので、お時間のある方は目を通しておいてください。
①ムハンマドが書いたわけではない
クルアーンは預言者ムハンマドが感じ取った神の言葉を書き綴ったものになりますが、 実はムハンマドは読み書きが出来なかったとされています。 正確に言うとムハンマドが感じ取って口にした神の言葉を側近が記憶したり書き留め、 それを彼の死(632年)後数十年後(7世紀末)に、114章からなる一冊の本に編集されたものになります。第三代教皇(カリフ)オスマーンが、既に立派な聖典をもつユダヤ教徒やキリスト教徒へ対抗するために編纂を命じたと言われています。
②サジュウ体で記述
実はこのクルアーンは全編通して「サジュウ体」と呼ばれる散文と詩の中間のような特殊な文体で記載されています。要するにムハンマドが「サジュウ体」で神の言葉を語ったということになります。クルアーンとは アラビア語で「声に出して読むべきもの」という意味になりますが、実際にアラビア語で声に出して読んでみると「サジュウ体」による脚韻が太鼓のような拍子となり、ある種の陶酔の域に達するそうです。当然ですが日本語に訳すとその韻は全て消えます。
③最初の章ほど長く後半にいくにつれ短くなる
第2章(牝牛)が一番長くて287節、次の第3章(イムラーン一家)が200節ですが、これが後半に行くほど短くなり最後の方の章では5節ぐらいになってしまいます。
④長い章ほど全体に統一性がない
各章にはそれぞれ「雌牛(めうし)」「黎明(れいめい)」などのタイトルが付いており、緩やかなテーマみたいなものがあるのですが、長い章になるほど全体の統一性がなく寄せ集め感が強くなります。これはクルアーンの編集者がムハンマドではなく、彼の死後しばらく経ってから別の人物が編集したから、という事情が大きいようです。
⑤全体を通したストーリーがあるわけではなく同じ話の繰り返しが多い
クルアーンはムハンマドが感じ取った神の断片的な言葉を、後年半ば強引に一冊の本にまとめたようなものです。そのため全体を通した物語があるわけではなく、同じ話や似た話の重複が多く、概要の掴みづらい構成になっています。ただでさえ日本人に難しい内容のものが、わかりづらい構成の上に、解釈も複数成り立つため、日本人には特に難しい本になると思われます。
⑥神の言葉は様々だが大きく三つに分類できる
基本的にはアッラーフが預言者ムハンマドに対して語るという形を取りますが、神の言葉は大きく3つに分類されます。①イスラム教徒への法律的なもの、②聖書などの物語的なもの、③死後の世界や天地終末論的なもの。語り方も様々で、一般信者に伝えるようにという指示もあれば、物語を語ることもあり、論理的ではないシャーマン的に語る言葉もあります。
⑦若い頃の預言ほど後ろに配置されている
ムハンマドは四十歳頃(610年頃)から神の言葉を感じるようになり、以後亡くなるまでの約20年間にわたって神の啓示を受け続けます。 厳密な分類ではありませんが、初期の預言ほど後半に配置され、後期の預言ほど前半に配置されている傾向があるようです。大きく初期、中期、後期に分けられますが、時代によって内容や文体が変化する特徴があります。
⑧前半ほど法律的なものが多い
前半の記述ということは後期の預言ということになりますが、「豚肉を食べてはいけない」「利息をとってはいけない」「酒と偶像崇拝の禁止」など、いわゆるイスラム社会における法律的なものが前半の中心となります。
⑨前~中盤にかけて聖書の物語を微妙に修正した話が多い
前半から中盤にかけて(つまり中期以降)、クルアーンには旧約聖書、新約聖書の有名なエピソードが度々登場します。アダム、ノア、モーセ、アブラハム、ダヴィデ、マリアとイエスなどの物語が繰り返し語られますが、その際アッラーフが「旧約、新約聖書ではこうなっているが、実はこうなんだ」という形で微妙な修正を加えます(特に重要な修正は後で改めて説明します )。全体的に重複する内容が多いのですが、特にこの種の物語の繰り返しが多いです。
⑩後半は緊迫感に満ちた終末思想
クルアーンには旧約聖書などと異なり死後の世界が明確に記されていますが、その多くが終盤に記されています(つまり初期の預言)。 第81章には「海洋ふつふつ煮えたぎる時」「魂ことごとく組み合わされる時」 「天がメリメリ剥ぎ取られる時」といった様子で「天地終末」や「最後の審判」が描かれますが、シャーマン的な文体で緊張感に満ちた描写になっています。
⑪徹頭徹尾神賛美
クルアーンには「アッラーフは何でも許してくださる誠にお情け深い方」「アッラーフは全てを知り一切のことに通じたもう」などの神賛美の言葉がことわるごとに登場し、実際祈る際にも絶対的な神賛美が求められます。その理由を一言で言ってしまうとアッラーフは「裁きの日の主催者(第1章4節)」だから。神は死後の世界の全ての決定権を持っており、神を賛美する(信じる)ものは天国に行けるが、しない(信じない)ものは地獄行き、という世界観になります。
⑫イエスを神とは認めない
キリスト教においては、イエスは聖母マリアを通じて生まれた神ヤハウェの子であり、ヤハウェ、イエス、そして聖霊を合わせて神とする「三位一体」という考え方を取ります。しかしクルアーンでは、「イエスは神ではなく預言者の一人であり、ムハンマドこそが最後の預言者である」という立場を取っています。「なぜイエスは神ではないのか?」のページでもう少し具体的な説明をします。
イスラム教の死後の世界観をざっくり解説!
「イスラム教の死後1」のページでも説明しますが、クルアーンを理解するために重要なことなので、簡単に紹介しておきます。 イスラム教の死後の世界観はこのような経緯を辿ることになっています。
② そして人が死ぬと魂と肉体が分離し、肉体は一旦朽ち果てる
③ やがて「天地終末の日」が訪れる(まだ訪れていない。ここまでを現世「ドンヤー」と言う)
④ 直後に「復活」の日が訪れ、死者の肉体は「復活」し魂が入り元の人間に戻る
⑤ 全員裁きの場所に引き出され「最後の審判」が行われる
⑥ 生前の善行(クルアーンの教えを守ること)が悪行を少しでも勝っていれば、右手に帳簿を渡され天国行き
⑦ 生前の悪行(クルアーンの教えを破ること)が善行を少しでも勝っていれば、左手に帳簿を渡され地獄行き(ここからを来世「アーヒラ」と言う。ただし仏教の来世(輪廻)とは異ーなる)
⑧ 一度地獄行きとなった人間は、どれだけ反省しても永久に天国に行くことができない
キリスト教のように、死んだ人から順次天国と地獄に振り分けられるわけではなく、仏教のように輪廻するわけでもありません。現段階で「天地終末」も「復活」も訪れていないため、イスラム教の世界観においては、まだ誰も天国にも地獄にも行っていないことになります。神による「天地創造」によって始まったからこそ、神による「天地終末」に終わる。このように考えられています。
少し頭の片隅に置いておいてください。
六信五行(ろくしんごぎょう)についてざっくり解説!
イスラム教徒には服装や食べ物以外に、守らなければならない「六信五行」というものがありますので、 少し紹介しておきます。
六信(ろくしん) イスラム教徒が信じるべきもの
①唯一全能の神 | つまりアッラーフを信じること |
②天使の存在 | 天使の存在も信じること |
③啓典 | 旧約聖書、新約聖書、クルアーンを信じること |
④使徒、預言者 | 預言者とは神の言葉を預かる者の意味で、この預言者とその神の言葉を信じること |
⑤来世(アーヒラ)の存在 | 天地終末と死者の復活という死後の世界を信じること |
⑥定命(ていめい) | 運命を信じること |
五行(ごぎょう) イスラム教徒が行うべきもの
①信仰告白 | アッラーフの他に神はなし、ムハンマドは神の使徒なり。これが「私はイスラム教を信じています」という信仰告白になります。 |
②礼拝 | 1日に5回、聖地メッカの方向を向き決められた時間にお祈りをすること。 |
③喜捨(きしゃ) | 貧しい人たちへの寄付が義務付けられており、所得の2.5%程が徴収されることもあるそうです。 |
④断食(ラマダン) | イスラム暦の9月の1ヶ月間、日の出から日没まで飲食を断つこと。 |
⑤巡礼 | 一生に一度は聖地メッカに巡礼することが望ましいとされています。 |
本編を紹介する時、必要に応じて改めて説明しますので、ここでは特に覚えなくて結構です。
全体の目次
このクルアーンは、ムハンマドの断片的な預言を別の人物が半ば強引に一冊の本に編集しているところがあるため、一貫性がある物語があるわけではありません。本当は第1章から本の順番通りに重要なものを紹介していきたかったのですが、同じテーマの話題があちらこちらに飛び散っているため、読んでいても結局言いたいことが伝わってきません。そこでテーマごとにクルアーンの重要な記述を抜粋して説明を加えるというやり方で紹介していきたい思います。
なお、クルアーン本文は難解で分かりづらい表現が多いので、分かりやすい表現に微妙に修正していきます。