その他ちょっとびっくりなイスラム教の預言![60分でクルアーン11]

【60分でクルアーン】全体の目次!

 

このページでは他のページのテーマから漏れたものや、 ちょっとびっくりな預言を紹介してみたいと思います。

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神からムハンマドへの最初の言葉

96-1~5
読め「創造主なる主の御名において。いとも小さい凝血から人間をば創りなしたもう。
読め「汝の主はこよなくありがたいお方。筆もつすべを教えたまう。人間に未知なることを教えたまう」と。

これがムハンマドが受けた最初の啓示とされています。 610年頃メッカ郊外のヒラーの洞窟で瞑想をしていたムハンマド(当時40歳頃)の前に天使ガブリエルが現れ、ムハンマドに「読め」と命じた言葉だそうです。内容は「アッラーフが人間を小さな血から創り、人間に知恵を与えたのだ」ということを表します。 ムハンマドの言行録を記した「ハディース」によると、この「読め」という指示に対しムハンマドは「私は読めない」と答えたため、ムハンマドは文盲(読み書きができない)とされているそうです。
この後ムハンマドは恐怖に駆られて妻ハディージャのもとへ逃げ帰り、ハディージャの説得でこれが神の啓示だと悟ります。しかしこの後しばらくの間神の啓示はなく、約3年後に予言者としての活動が始まります。これらのことからハディージャが最初のイスラム教の信者とも言われています。
この96章は「クルアーンを声に出して読むことの重要さ」を説いているとされています。クルアーンとは「声に出して読むもの」という意味になりますが、73章4節にはゆっくり詠むようにという指示があり、さらに美しく詠むことも求められるため、「ゆっくりと美しく声に出して読む」のが正しいとされているそうです。

利息の禁止

こちらはイスラム社会における利息の禁止の元となる啓示になります。

2-276節
利息を食らう人々は(復活の日)すっと立ち上がることもできないだろう。(中略)
アッラーフは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じたもうた。

これはお金に余裕のある社会強者が、お金に余裕のない弱者を搾取することを防ぐために設けられたと考えられています。弱者に優しいのがムハンマド(クルアーン)の思想です。

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ちょっとびっくりなアッラーフの意外な一言!

こちらはアッラーフの以外な一面が見える記述です。

3-177
「アッラーフなんて貧乏だ、俺たちは金持ちだ」 などと言っている者の言葉をアッラーフは聞きたもうた。ようし、その文句を書き留めておくぞ。

意外とメモ魔で根に持つタイプなんですね。天使たちに全部記録させているはずなのに……

こんな言葉もあります。

4-81
お前に降りかかる幸運はアッラーフの授けたまうもの。お前にかかる災難はこれはみなお前自身から出たこと

「お前の幸運は俺のもの、お前の災難はお前のもの 」アッラーフはジャイアンよりも厳しい神様なのですね。

戦闘と団結の戦略

4-95
信徒を故意に殺した者はジャハンナム(地獄)を罰として、そこに永久に住みつこおうぞ。

8-16
(合戦の)日に敵に背を見せるようなものは、たちまちアッラーフのお怒りを背負いこみ、行く先はジャハンナム(地獄)。 行き着く先は恐ろしいぞ。

8-42
どんな戦利品を終えてもその1/5だけは、アッラーフのものそして使徒(ムハンマド)の物、それから近親者、孤児、貧民、旅人のものであるということ。

仲間殺しと敵前逃亡は地獄行き。 さらに信者たちに、自分の財産の提出と弱者への分配を義務付けています。クルアーンの中には、この他にも至るところに信者の結束力を強化する教義が埋め込まれています。
政治指導者、軍事指導者までをも兼ねた ムハンマドならではの団結戦略といえるのかもしれません。この神のもとに結束したイスラム軍団は、 ムハンマドが亡くなる632年にはアラビア半島をほぼ統一し、その後巨大なイスラム帝国へと発展していきます。彼の死後も残り続けるこれら啓示が、彼らの繁栄と団結の原動力となっていたのですね。

アッラーフはムハンマドびいき?

一夫多妻制度のページでも少し紹介しましたが、ムハンマドの女性関係については、どうもアッラーフが甘くなる傾向があるように思えます。こちらを読んでみてください。

4-26,27
自分の父親の妻であった女を己が妻にしてはならぬ。(中略)実に不埒な行いじゃ。(中略)
それから自分の腰から出た息子の配偶者を妻にすることもいけない。

アッラーフはこの他にも細かく妻にしていい女性の条件を定めていますが、 ここでは父親の妻と息子の妻を自分の嫁とすることを禁じています。
ところがムハンマドは自分の養子であるザイドの美しい妻(ザイナブ)に一目惚れをしてしまったそうです。それに気付いたザイドは離婚して妻をムハンマドに譲ろうとし、結果ムハンマドの妻となりました。その後のアッラーフの言葉がこちらです。

33-37,38
ザイドがさっぱり彼女の事を済ませてしまった(離婚の手続きをした)ので、アッラーフは彼女(ザイナブ)をお前(ムハンマド)の妻にしてやった。 これは一般に信徒らが、自分の養子の女房でも、完全に用が済んでしまったものであれば自由に(妻に)してよろしいという規則を作りたいと思ってしたことであった。アッラーフがせよと仰せになったことであるからには、 何もムハンマドには咎めはない

少し複雑ですが、状況分かります?
アッラーフは「一般の信者たちが自分の養子の妻でも自分の妻とできる」という規定を作るために、ムハンマドに養子の妻を嫁にさせた、ムハンマドは悪くない、とおっしゃっています…
… どうしてもムハンマドをひいきしているように聴こえるのですが…

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