このシリーズは、クルアーンの重要な記述をテーマごとに抜粋して、できるだけ分かりやすく説明していくことを目的にしています。なお、クルアーン本文は難解なため一部簡略化して表示していきます。
天国の場所はどこ?
天国の場所についてクルアーンにはこのような記述があります。
65-12
アッラーフこそは7つの天を創り、さらにまた同数の地を創り給うお方。
アッラーフは上空に7つの天を創ったということになりますが、実はムハンマド自身がすでにこの7つの天に訪れています。それがこちら。
17-1
ああなんともったいなくありがたいことか、アッラーフはしもべ(ムハンマド)を連れて夜空を行き、 聖なる礼拝堂(メッカの神殿)から、アッラーフにあたりを極められた遠隔の礼拝堂(エルサレムの神殿)まで旅をして我ら(アッラーフ)の神兆を目の当たり拝ませようとした。
これは621年に、一夜にしてムハンマドが夜空を飛んでメッカとエルサレム(メッカの北北西約1200キロ)を往復し、さらに天馬に乗って「7つの天」を登ったとされるエピソードです。 ここでムハンマドは アダム、アブラハム、イエスらの歴代預言者たちに会い、アッラーフの御前に至ったとされ、その登った地点のエルサレムの岩が、 現在「岩のドーム」として「イスラム教第3の聖地」になっています。
実際に生きたまま天上の世界を見てきたというエピソードなので、ダンテの神曲(AD 1300年)天国篇に近いお話なのかもしれません。
しかしイスラム教の「死後の天国」というのは、「天地終末」の後に行く場所であるため、 ここはいわゆる「死後の天国」というより、天使たちが住む「天上の世界」という意味合いが強いようです。
ここがやがて「死後の天国」になるということなのかもしれませんが、少なくともクルアーンの世界観では、原則的にはまだ誰も天国へも地獄へも行っていないことになっています。
天国はどんなところ?
オアシスのような楽園で飲み放題に食べ放題
クルアーンには 天国の様子が割と明確に描かれています。 その世界観が分かる描写をいくつかご紹介します。
まずはこちらの記述を読んでみてください。
47-16
敬虔な信者に約束された楽園を描いてみようなら、(中略)そこには腐ることのない水をたたえた川がいくつも流れ、 いつまでも味の変わらぬ乳の河があり、飲めば言われぬ美酒の河があり、澄みきった蜜の河があり、 その上あらゆる種類の果物が実り、その上神様からは罪の許しがいただける。
オアシスのようなところを想定しているのだと思われます。基本的に砂漠地帯ですから、 水やお酒や果物を手に入れることは難しかったことでしょう。アラブ人の描く天国に、新鮮な飲料水や食べ物がいつでもすぐ手に入れられることが、どれだけありがたいことか、ということを思い知らされた気がします。
実はイスラム教徒は、現世での飲酒は禁じられているのですが、 この記述を見る限り、来世(死後の天国)では飲酒が認められるということになるみたいですね。 現世では様々な制約があるが、神を信じクルアーンの教えを守れば、来世(天国)では「飲み放題に食べ放題」というご褒美が与えられる。これがイスラム教の世界観になるようです。
イスラム教の天国は男の楽園?
天国と地獄については第56章にまとまった記述がありますが、こちらからは当時のアラブ人の価値観が垣間見えます。少し長いですが読んでみてください。
56-4~39
大地がぐらぐらと大揺れに揺れ、山々は粉々に崩れ、お前らが3組に分けられるとき…
右組(縁起のいい方)の人々は、それ、右組の人々。 左組(縁起の悪い方)みの人々は、それ、左組みの人々。 それから先頭に立つ人々(一番立派な集団)が先頭に立ち…
これ(先頭人々)こそ(玉座の)お側近くに召され、えも言われぬ幸福な楽園に入る人々。 昔の人が大部分で、後世のものはほんのわずか。(中略)永遠の若さを受けた(小姓たちが)お酌に廻る。(中略) この酒はいくら飲んでも頭が痛んだり、酔って性根をなくしたりせぬ。 そのうえ果物は好みに任せ。鳥の肉などのぞみ次第。 まなこ涼しい処女妻は、そっと隠れた真珠さながら。 これもみな己が善行の報い。(中略)
次に右組の人々、 これはどうかと言うと、刺しなしの潅木とぎっしり実のなったタルフの木(バナナかアカシア?)の間に(住んで)、 長々と伸びた木陰に、流れて山の水の間に、豊富な果物が絶えることなく取り放題。 一段高い寝所があって、アッラーフが特に新しく創っておいたこの女たちは処女ばかり。 愛情細やかに、年齢も頃合い。右組の連中の相方となる。右組は昔の人も大勢いるが、後世の人もまだ数多い。
(続きの左組は地獄で紹介します)
ここでは「復活」した人々が「前、右、左」の3組に分けられているようです。 そして前と右のグループが天国行きで、左のグループが地獄行き、ということになるみたいです。
この記述を一言で言ってしまうと、 「酒池肉林」で「若い娘とやりたい放題」。
前と右に大きな違いがあるようには思えませんが、敢えて挙げると、前組は「アッラーフのすぐ側」で悪酔いしない「最高のお酒が飲み放題」といったところでしょうか。
しかしこの天国は、完全に男の視点でしか描かれてないですよね。4章3節では「男であれ女であれ、信仰者で善行を行うものは、天国に入れるであろう。」とあり、 男女平等に天国に入れることにはなっているのですが、「アッラーフが特に新しく作っておいた女たちは処女ばかり」では「売春宿」に近いと言えるでしょう。
この時代のアラブ社会の決定権はほぼ男性が掌握していた。だからこそ男性をメインにした賞罰の基準を設けた。ということになると思われます。当時のアラブ社会での女性の立場の弱さが垣間見えます。
神を信じた者のみが天国に入れる
天国の描写については、このようなアッラーフの少しコミカルなたとえ話もあります。 これは「最後の審判」を受けた直後の天国に入りたての人々の会話になります。こちらも興味深い内容です。
37-49~60
(天国に入りたての人々の)中の一人が言う「 わしの友人の一人が(かつて)口癖のようにこう言っておりました「 ねえ、 君までがあのようなこと(死後の復活)を真に受けているのか、 わしが死んでからまた裁かれるなんてことがあるのかね」と」そして更に(その男は)語る「みなさん、 ちょっと見下ろしてごらんなされ」。 見下ろせば、見える見える、あの男(復活を信じなかったその友人)が地獄の真ん中におる。「ああ、 お前のおかげでわしも破滅するところであった。 主のお情けがあったればこそだ。」(中略)
さ、このように歓待されるがいいか、それともザックームの木(地獄の底に生える妖怪の木)がいいか。(とアッラーフが言っている)
少し複雑ですが、状況分かりましたか?これはあくまでアッラーフの「こうなりたいのか?」という例えばなしであって、最後の審判後の未来を直接見せているわけではありません。ある天国に入りたての男が「復活を信じなかった友人」が、はるか下の世界の地獄にいる姿を発見して「危なかった~あいつの言っていることを信じないで、神を信じてよかった~」と胸を撫で下ろしている状況です。「神を信じた者は天国に行くチャンスはあるが、 信じない者は地獄行き」ということを言いたいようです。
それから、どうやらイスラム教の天国からは、地獄を直接見下ろすことができるということみたいですね。あえて見せることによって、「永遠の優越の世界」と、「永遠の屈辱の世界」に二分するということなのでしょうか。だとすればこれは精神的に辛いですね。確かに恐ろしいです。
エンディング
仏教の「極楽浄土」というのは、遥か西方の彼方に存在するとされる阿弥陀仏が統治する仏国土になります。 無量寿経によるとそこは 宝石が散りばめられたような美しい楽園なのですが、そこに到達することが最終目的なのではなく、そこで修行を完成させ仏陀になること(成仏すること)が最終目的であり、言ってみれば通過点です。そのため「極楽浄土」というのは容姿の美醜の差もない、「仏教修行のための国」になっています。
アラブ人の描く「天国」とは随分違いますよね。良く言えば賞罰がはっきりしていて分かりやすい。悪く言えば欲望にストレートで男尊女卑。と言えるのかもしれません。それでももし僕が、頭も衰えた人生の最後に救済を求めて思い描くのであれば、自分は「分かりやすい方」を選ぶと思います。