イスラム教のお祈り「アルファティハ」(開扉の章)を唱えてみよう![カタカナ解説付き][60でクルアーン2]

【60分でクルアーン】全体の目次!

 

アルファティハ」をご存知ですか?

これは「クルアーン」の冒頭の章(開扉(かいひ)の章)で、 7節からなる短い章ですが、

 「クルアーン」全てのエッセンスがギュッと凝縮されていると言われる、「最重要の章」になります。

600巻にもわたる「大般若経」のエッセンスを、わずか262文字に集約したとされる「般若心経」に少し似ているのかもしれません。

 イスラム教徒は、1日に5回礼拝を行いますが、お祈りのたびに必ず唱える非常に重要な言葉になります。

このアラビア語のアルファティハ(開扉の章)にカタカナの読みを付けてみましたので、よろしければ練習して覚えてみてください。

前置きの説明を付けたのですが、少し長くなってしまいました。お急ぎの方は飛ばしてもらって構いません。目次で下まで飛んで行ってください。

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まずはクルアーンをざっくり解説!

ここは重要ではありませんので、ご存知の方は飛ばしてもらって結構です。

「クルアーン(コーラン)」は旧約聖書、新約聖書を前提とした、その続編的な位置付けになる本です

旧約聖書では、世界の想像主である神(ヤハウェ)とユダヤ民族の代表モーセとの間で「神の戒律を守る代わりにパレスチナの地を与える」という契約を結びます(紀元前15世紀頃)。

しかし約束通りパレスチナの地を得たユダヤ人たちは、 神を軽んじ約束を守らなくなり、 やがてユダヤ人に災いが降りかかる。

そこで神は人々を救済するためにイエスキリスト(ギリシャ語で救世主の意味)を派遣します。

新約聖書では、イエスが神の子として登場し「神を信じさえすれば誰でも平等に救われる」と解きます(紀元30年頃)。

そしてキリスト教が世界中に広がりました。

これに対し預言者ムハンマドは、さらに神の言葉を預かります(紀元610年頃)。

※「預言者」とは、将来の出来事を言い当てる「予言者」とは異なり、神の言葉を預かる者という意味

モーセやイエスがもたらしたメッセージは、確かにそれ自体は正しかった。

しかしユダヤ教徒もキリスト教徒も神の言うことを全く聞いていない。

そもそもイエスは神ではなく予言者の一人だ。

だからこそ預言者ムハンマドを通じて、神(ヤハウェ=アッラーフ)の最後の言葉を伝えた。

※ ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神様は、基本的に同じ神様を指します。

クルアーン(コーラン)とはこのような位置付けの文書になりますが、

正確に言うと、預言者ムハンマドが神(アッラーフ)の言葉を感じ取って口に出した言葉を側近が記憶し書き留め、それをムハンマドの死後に114章からなる一冊の本にまとめたものになります。

ムハンマドは40歳頃(紀元610年頃)から約20年間にわたって少しずつ神の啓示を受けてきたとされていますが、全体を通して「サジュウ体」と呼ばれる詩と散文の中間的な特殊なリズムを持った形式で記述されています。

アラビア語で「クルアーン」とは「声に出して読むべきもの」という意味になりますが、 実際にアラビア語で声に出して唱えてみると、この「サジュウ体」による脚韻が太鼓を打つのような拍子になり、ある種の陶酔の域に達するそうです

クルアーンの世界観を知っておこう!

第1章「アルファティハ」は「クルアーン」のエッセンスを凝縮した内容になっているとされていますが、まずはそのクルアーンの世界観を知っておいてください。

 

 

「クルアーン」の大きな特徴の一つは、旧約聖書などと異なり死後の世界が明確に描かれていることです。

その世界観は次のような経緯をたどることになっています。

① 我々の両肩にはそれぞれ二人の天使がついており、その人の善行と悪行を全て記録している
② そして人が死ぬと魂と肉体が分離し、肉体は一旦朽ち果てる
③ やがて天地終末の日」が訪れる(まだ訪れていない。ここまでを現世「ドンヤー」と言う)
④ 直後に「復活」の日が訪れ、死者の肉体は「復活」し魂が入り元の人間に戻る
⑤ 全員裁きの場所に引き出され「最後の審判」が行われる
⑥ 生前の善行(クルアーンの教えを守ること)が悪行を少しでも勝っていれば、右手に帳簿を渡され天国行き
⑦ 生前の悪行(クルアーンの教えを破ること)が善行を少しでも勝っていれば、左手に帳簿を渡され地獄行き(ここからを来世「アーヒラ」と言う。ただし仏教の来世(輪廻)とは異なる)
⑧ 一度地獄行きとなった人間は、どれだけ反省しても永久に天国に行くことができない

キリスト教カトリックでは、人は死後「魂だけ」が生前の行いにより順次「地獄」「煉獄」「天国」へと振り分けられることになっています。

これに対してイスラム教では「③天地終末」というこの世の終わりが到来した直後に、歴史上のすべての人間の「④肉体の復活」が起こり魂が肉体へ戻る。そしてアッラーフによる「⑤最後の審判」を経て「生身の人間のまま」「⑥天国」と「⑦地獄」へと振り分けられると考えられています。

ただし「③天地終末」も「⑤最後の審判」もまだ到来していないので、原則的にはまだ誰も天国へも地獄へも行っていない、ということになります。

イスラム教の死後の世界観はこのようになっています。

そしてアッラーフが「⑤最後の審判」の全ての決定権を持っているということが、クルアーンの最重要テーマになります。

第1章開扉の章「アルファティハ」にはこの辺りの「世界観」が色濃く反映されています。

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クルアーンの世界観と第1章の内容

この「クルアーンの世界観」を踏まえた上で、第1章の内容を簡単に紹介しておきます。

実はアッラーフには厳格な側面(ジャラール)の他に、優しい側面(ジャマール)も持ち合わせており、クルアーン本編にも度々登場します。

「慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において(第1章1節)」というのは、アッラーフの優しい側面におすがりします。ということを表してるそうです。

ですが最も重要なことはアッラーフは「全世界の主(1-2)」であり「⑤裁き(審判)の日の主催者(1-4)」であるというこになります。

つまり、死後の世界のすべての決定権を握っており、我々が「⑥天国へ行く」のも「⑦地獄へ行く」のもアッラーフ次第ということです。

その上アッラーフは、阿弥陀仏(あみだぶつ)以上の絶対他力本願であり、「讃えあれ、アッラーフ(1-2)」のように徹頭徹尾神賛美を求めます。

だからこそムスリム(イスラム教徒)の方々は、日々「クルアーン」の教えを守り、毎日全力でお祈りをします。

「あなただけを我々は崇めまつる(1-5)」「我々を正しい道へ導き給え(1-6)」そして「あなたを怒らせる人々や迷う人々の道(地獄)ではなく、あなたの嘉(よみ)したもう人々の道(天国)を歩ませ給え(1-7)」というのは、「裁き(審判)の日の主催者(1-4)アッラーフ」に対する我々の立場をはっきり表した言葉になります。

全ては「⑤最後の審判の日」に右手に帳簿をもらうため(天国へ行くため)です。

このあたりを意識して、一度本文をじっくり読んでみて下さい。

クルアーンの読み方、唱え方!

前置きが多くてごめんね。
実はクルアーンにはこの「クルアーン自体の読み方の指示」というものも記載されています。

73-4
これ、すっぽりと衣かぶったそこの者(ムハンマドのこと)、(中略)ずっとクルアーンをゆるやかに読んでおれ

あくまでムハンマドに対する指示という形で描かれていますが、この記述を元に現在ではすべての信者が「クルアーンはゆっくりと読むもの」とされているそうです。

さらに87章-6節にはこんな記述もあります。

87-6
アッラーフ、汝(ムハンマド)に読ませようぞ(クルアーンを声に出させて読ませるということ)。さすれば汝(なんじ)も忘れまい。アッラーフの御心ならば忘れまい。

これはアッラーフがムハンマドにクルアーンを声に出して読ませようとしている場面ですが、「クルアーンを声に出して読むことの重要さ」を説いた言葉とされています。さらにクルアーンは「美しく読むこと」も求められています。つまりクルアーンは「ゆっくりと美しく声に出して読む」というのが正しいようです。定められたメロディーがあるわけではありません。
実際に読むときは意識してみてください。

アルファティハ(第1章開扉の章)を唱えてみよう!

「アルファティハ」(開扉:かいひ) は「ファティハ」(開くもの)に定冠詞「アル」がついたものになります。七つの節から構成されていますが、天には7つの階層があり地獄にも7つの門があるなど、イスラムにおいてはこの7という数字が特別の意味を持つそうです。
それでは動画に合わせて試しに唱えてみてください。「ゆっくりと美しく」ですよ。
そして覚えるためには、最低でも三日間ぐらいは集中して練習することをお勧めします。

 

1-1 慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において

1-1 بِسْمِ اللّهِ الرَّحْمـَنِ الرَّحِيم

Bi-ismi Allāhi al-raḥmāni al-raḥīm
ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム
慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において

Bi:「~において(前置詞)」 ism:「名前(末尾の (i)は前置詞による所有格の支配を表す)」 Allāh:「神(アッラーフ)」 Allāhi:「神の(アッラーヒ)(末尾の(i)は格変化の語尾で「~の」を表す)」  al:「定冠詞(英語のthe)」 raḥmān:「慈悲深く(無償の慈悲)(ラフマーン)」  raḥīm「自愛あまねき(有償の慈悲)(ラヒーム)」
※アラビア語では名詞が限定されている(アッラーフ)ときは、その名詞にかかる形容詞にも定冠詞がつく。
※Allāh(アッラーフ)は普通名詞でもあり固有名詞でもある。つまり「神という名を持つ神」。
※「āī」などの上の棒は長音(伸ばす)を表す。

1-2 讃えあれ、アッラーフ、全世界の主のために

1-2 الْحَمْدُ للّهِ رَبِّ الْعَالَمِين

Al-ḥamdu li-Allāhi rabbi al-‘ālamīn
アルハムドゥリッラーヒラッビルアーラミーン
讃えあれ、アッラーフ、全世界の主のために

al:「定冠詞(英語のthe)」 ḥamd:「賞賛(ハムドゥ)」  li:「~のために(前置詞)」 Allāh: 「神(アッラーフ)」 rabb:「主(ラッブ)」 ※ 末尾の(i)は格変化の語尾で「~の」を表す ’ālamīn:「全世界(世界’ālamの複数形)(アーラミーン)」
※「ḥ」は「無声軟口蓋摩擦音」(むせいなんこうがいまさつおん) 国際音声記号は 「X」
※「h」は「無声咽頭摩擦音」(むせいいんとうまさつおん)  国際音声記号は「ħ」

1-3 慈悲深く自愛あまねき御神

1-3 الرَّحمـنِ الرَّحِيم

Al-raḥmāni al-raḥīm
アッラフマーニッラヒーム
慈悲深く自愛あまねき御神

1-4 裁き(審判)の日の主催者

1-4 مَـالِكِ يَوْمِ الدِّين

Māliki yaumi  al-dīn
マーリキヤウミッディーン
裁き(審判)の日の主催者

Mālik:「主催者(マーリキ)」  yaum:「日(ヤウム)」 dīn「審判(ディーン)」

1-5 あなただけを我々は崇めまつる、そしてあなただけに我々は助けを求めまつる

1-5 إِيَّاك نَعْبُدُ وإِيَّاكَ نَسْتَعِين

Īyā-ka na’budu wa-Īyā-ka nasta’īn
イィヤーカナアブドゥ ワ イィヤーカナスタイーン
あなただけを我々は崇めまつる、そしてあなただけに我々は助けを求めまつる

ka:「あなたを」 Īyā-kaで「あなたこそ(イィヤーカ)」  na:「我々を」 ’budu:「崇める」  wa:「そして」 sta’īn:「助けを求める(スタイーン)」

1-6 我々を正しい道へ導き給え

1-6 اهدِنَــــا الصِّرَاطَ المُستَقِيمَ

Ihdi-nā al-ṣirāṭa al-mustaqīm
イフディナッスィラータルムスタキーム
我々を正しい道へ導き給え

Ihdi:「導け(イフディ)」 nā:「我々を」  al:「定冠詞(英語のthe)」 ṣirāṭa:「道(スィラータ)」 mustaqīm:「一直線の(ムスタキーム)」
※アラビア語では名詞に定冠詞が付くと、それにかかる形容詞にも定冠詞がつく。
※「ṣ ṭ ḍ」は「s t d」の強勢音。

1-7 あなたを怒らせる人々や迷う人々の道(地獄)ではなく、あなたの嘉(よみ)したもう人々の道(天国)を歩ませ給え

1-7 صِرَاطَ الَّذِينَ أَنعَمتَ عَلَيهِمْ غَيرِ المَغضُوبِ عَلَيهِمْ وَلاَ الضَّالِّين

Ṣirāṭa al-ladhīna an’amta ‘alay-him Ghayri al-maghḍūbi ‘alay-him wa-lā al ḍāllīn
スィラータッラズィーナ アンアムタアレイヒム ガイリアルマグドゥービアレイヒム ワラッダーリーン
あなたを怒らせる人々や迷う人々の道(地獄)ではなく、あなたの嘉(よみ)したもう人々の道(天国)を歩ませ給え

Ṣirāṭa:「道(スィラータ)」  alladhīna:「~するところの(人々)(アッラズィーナ」  an’amta:「あなたが恩恵をを施した(アンアムタ)」  ‘alay-him:「彼の上に(アレイヒム)」 前半の直訳:「彼らの上に恩恵をあなたが施すところの人々の道」
  Ghayri:「~なしに(ガイリ)」 almaghḍūb:「怒られた」 wa:「それから」 lā:「否定辞」  ḍāllīn:「迷う人々(ダーリーン)」 後半の直訳:「あなたに怒られた人々(の道)ではなく、また道を迷った人々(の道)でもなしに」

エンディング

全てのイスラム教徒が完全にこの死後の世界を信じているわけではないと思います。
でももしも僕がムスリム(イスラム教徒)だったならば、欠かさず神にお祈りを捧げこの「アルファティハ」を唱えます。
それは自分に本当に死が差し迫った時、「もしも死後の世界があるならばきっと自分は天国に行けるだろう」 という少しでも安心した気持ちで最後を迎えられるようにするために。

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