このシリーズは、クルアーンの重要な記述をテーマごとに抜粋してできるだけ分かりやすく説明していくことを目的にしています。なお、クルアーン本文は難解なため一部分かりやすい表現に変えてあります。
クルアーンでは聖書の有名な人物のエピソードが繰り返し語られますが、その多くがアッラーフが「 聖書ではこうなっているが、実はこうなんだ」 という形で微妙な修正を加えます。特に重要な修正を行うのがアブラハムとイエスなのですが、このアブラハムのエピソードは、イスラム教の教義において非常に大きな役割を果たします。そして二つの聖地「メッカのカアバ神殿」と「エルサレムの岩のドーム」に関係します。
なぜ「メッカのカアバ神殿」が最大の聖地なのか?
こちらは「メッカのカアバ神殿」と「預言者アブラハム」に関する記述になります。
2章-119節
アッラーフが(メッカのカアバ)聖殿を万人の帰り来る場所と定め、安全地域に定めた時、「汝(なんじ)ら、アブラハムの立所を祈祷の場所とせよ」と命じた。
(中略)
2-121,122
アブラハムとイシュマエルが一緒に(カアバ)聖殿の礎石を打ち立てた時、「我らの主よ、(中略)なにとぞ我ら両人をあなたに帰依する信者となしたまえ。また我らの子孫を汝(アッラーフ)に帰依し奉(たてまつ)る信仰深き民となしたまえ。(中略)」(と二人は言った)。
2-139
お前(ムハンマド)は(お祈りの方向がわからなくて)空を見回している。 それならここでお前に得心のいく方向を決めてやろう。(礼拝の時) お前(ムハンマド)の顔を聖なる礼拝堂(メッカのカアバ)の方に向けよ。
汝ら(こちらは一般信者たちを指す)、どこにいようとも、必ず今言った方向に顔を向けて(祈る)のだぞ。
クルアーン本文を少し簡略化して表示していますが、これらは非常に重要な記述になります。「アブラハム」というのは紀元前2000年頃の預言者(神の言葉を預かる人)で、異なる妻の元に「イサク」と「イシュマエル」という子供をもうけます。 旧約聖書によると「アブラハム」は神(ヤハウェ=アッラーフ)の命令に従い自分の息子である「イサク」を犠牲にしようとしたことで神の信頼を獲得し、以後子孫の繁栄を約束されます。
そしてこの「イサク」がすべてのユダヤ人の創始となる一方で、「イシュマエル」がすべてのアラブ人の創始となります。ここは重要なので覚えておいてください。
2-121に「アブラハムとイシュマエルが一緒に(カアバ)聖殿の礎石を打ち立てた時」とあるように、イスラム教ではメッカの「カアバ神殿」は「アブラハム」と子の「イシュマエル」によって建立されたことになっています。2-119には「アブラハムの立所を祈祷の場所とせよ」と命じた。」とありますよね。「アブラハムの立所 」とはカアバ内にある「アブラハムの足跡」が残っている「聖石」を意味します。 この記述があるからこそメッカの「カアバ神殿」がイスラム教の最高の聖地となっています。
また2章139節に「(礼拝の時) お前(ムハンマド)の顔を聖なる礼拝堂(メッカのカアバ)の方に向けよ。」とあり、 一般信者にも同じ方向に祈ることを支持しています。このため現在「メッカのカアバ」が礼拝時の方向になっています。
さらに121,122節には「我らの主よ、我ら両人をあなたに帰依する信者となしたまえ」とアブラハムとイシュマエルが言っていますよね。これをもって「アブラハム」こそがイスラム教の創始者であり、信者の第1号ということにもなっています。続きには「我らの子孫を汝(アッラーフ)に帰依し奉(たてまつ)る信仰深き民となしたまえ。」とあります。この二人がすべてのアラブ人の創始ですから、全てのアラブ人がイスラム教に帰依することをほのめかしているようにも読み取れます。
このような記述からイスラム教は「アブラハムの宗教」であるとも言われています。
五行の礼拝をざっくり解説!
「礼拝(れいはい)」というのはイスラム教徒が守るべき「五行(ごぎょう)」の一つで、「1日に5回、聖地メッカの方向を向き決められた時間にお祈りをすること」を言います。王族のような富める者から最下層の貧しい者までもが、神のもとに平等に跪くことによって、イスラム教徒全体に一体感が醸成されているとも言われています。
この「礼拝」についてなのですが、実はこんな例外規定も設けられています。
4-102
他国に旅に出ている時、もし信仰なき者どもにいじめられそうな懸念がある場合には、礼拝を簡略にしても構わない。
イスラム教の「礼拝」には特殊な作法があり、異国では差別の対象になることがあります。「外国にいる場合は、簡略化しても最後の審判のマイナス評価にはしませんよ」とすることで、無用な摩擦や争いを避ける狙いがあると思われます。このようにアッラーフには厳格な側面(ジャラール)だけでなく、優しい側面(ジャマール)も備えています。
実はクルアーンには「礼拝」しろとは書いてありますが、その「礼拝」の方法は書いてありません。具体的な方法は「ハディース」と呼ばれるムハンマドの言行録を記録した本(クルアーンの参考書的なもの)に記載されています。しかしこの「ハディース」は膨大な量があり一般人が覚えられるものではないため、一般信者達はイスラム法学者の指示に従うことにより、アッラーフの教えを守る生活をしているそうです。
五行の巡礼をざっくり解説!
もう一つ、イスラム教徒が守るべき「五行」の一つに「巡礼(じゅんれい)」というものがあります。 これは、イスラム教徒は一生に一度は「聖地メッカ」にお参りするのが望ましいというものになります。この「巡礼」の根拠となるのがこちらの記述になります。
3-92
誰でも一旦この(メッカの聖域)に踏み込んでしまえば絶対安全が保証される。そして誰でもここまで旅してくる能力がある限り、この(カアバ)聖殿に巡礼することは、人間としてアッラーフに対する神聖なる義務であるぞ。
上の2-119にも「(メッカのカアバ)聖殿を万人の帰り来る場所と定め」とあり、巡礼を促していますが、こちらでは「旅が可能な限りカアバ聖殿への巡礼は義務である」旨が定められています。
これらの記述に基づき、年に一度の巡礼月には世界中のイスラム教徒が「メッカのカアバ神殿」に集まりますが、この「巡礼」では男性は全員白い巡礼用衣服の着用が義務づけられます。みんなで同じ服を着ることにより、裕福な人も貧しい人も全ての人が神のもとに平等に扱われることになるため、こちらもイスラム教徒全体の連帯感が強化される効果があると見られています。
なお「巡礼」は多くのムスリム(イスラム教徒)にとっての最大の目標となっており、達成すると「ハッジ(巡礼を成し遂げたことを意味する)」と呼ばれる称号がもらえ、尊重されるそうです。
五行(ごぎょう)とは?
五行とはイスラム教徒が行うべき5つの行いのこと
②礼拝 1日に5回、聖地メッカの方向を向き決められた時間にお祈りをすること。
③喜捨(きしゃ) 貧しい人たちへの寄付が義務付けられており、 所得の2.5%程が徴収されることもあるそうです。
④断食(ラマダン) イスラム暦の9月の1ヶ月間、 日の出から日没まで飲食を断つこと。
⑤巡礼 一生に一度は聖地メッカに巡礼することが望ましいとされています。
これにイスラム教徒が信じるべき6つのもの「六信(ろくしん)」を加えて「六信五行(ろくしんごぎょう)」と言います。
第3の聖地「岩のドーム」
岩のドーム 出典:ウィキペディア
エルサレムの「岩のドーム」が聖地とされる根拠がこちらの記述になります。
17-1
ああなんともったいなくもありがたいことか、(アッラーフは)しもべ(ムハンマド)を連れて夜空を行き、聖なる礼拝堂(メッカの神殿)から、我ら(アッラーフ)にあたりを極められた遠隔の礼拝堂(エルサレムの神殿)まで旅をして、我ら(アッラーフ)の神兆を目の当たり拝ませようとした。
これは621年にムハンマドが夜空を飛び、 一夜にしてメッカとエルサレム(メッカの北北西約1200キロほど)を往復した「夜の旅」、「昇天(ミウラージュ)」を表してると言われています。伝承によると天使ガブリエルに案内されたムハンマドは、メッカからエルサレムまで夜空を飛び、さらにエルサレムの「神殿の岩」から天馬に乗って7層の天を登ったとされています。そこではイエス、モーセ、アブラハムなどの歴代預言者たちと合い、ついにはアッラーフの御前に達し(実際に見ることはできなかったそうです)、「1日5回の祈りを捧げること」を赦され、その夜のうちにメッカまで飛んで帰った、とされています。この話をムハンマドが側近に語り、その後イスラム教徒の中で「ミウラージュの奇跡」として伝承されていったようです。それからしばらくの後、この昇天したとされる「その岩」を守るため「岩のドーム」を築き(692年)、 これが「イスラム教第3の聖地」となりました。
岩のドーム内の聖なる岩 出典:ウィキペディア
ですが実はこの岩、ユダヤ教徒にとっても「とても重要な岩」になります。上で「アブラハムが神の命令により息子イサク(すべてのユダヤ人の創始)を犠牲にしようとした」という話(紀元前2000年頃:旧約聖書の記述)をしましたよね。それが「この岩」の上で行われていたのです。つまりイサクが横たわっている「岩」のことになります。ですからユダヤ教徒においても「聖なる岩」であり、ダビデ王は「この岩」の上に「契約の箱」を納め、ソロモン王(紀元前10世紀頃)も「この岩」の上に「エルサレム神殿を建設」しました。そのため、今でもこの「岩のドーム」を取り除き、同じ場所に「エルサレム神殿」の再建を考えているユダヤ人もいるみたいです。
この一夜の「夜の旅」「昇天」以後ムハンマドは「一日5回の礼拝」を命じたそうですが、天上の世界で歴代預言者たちと会ったことによって、彼が正当な預言者の系譜にあることを証明することにもなったようです。
エンディング
クルアーンでは至るところでアッラーフが「聖書ではこうなっているが、実はこうなんだ!」と微妙な修正を加えます。中でもアブラハムの記述(クルアーンのイシュマエルとのエピソード)は、「メッカのカアバ神殿」が聖地の根拠となるものであり、イスラム教の教義の根幹にかかわる非常に重要な記述になります。一方「エルサレムの岩のドーム」では、アブラハムの記述(こちらは旧約聖書のイサクとのエピソード)がユダヤ人との紛争の火種にもなっています。 クルアーン全体の中でもわずかな記述しかありませんが、歴史的にもとても重要になりますので、クルアーンを実際に読むときは、是非ご自身でも見つけて確認してみてください。 なお、 「イスラム教第2の聖地」というのは、 ムハンマドの家の跡でお墓でもある「メディナの預言者のモスク」(メッカの北約350キロ)になります。メッカ、メディナの2聖地を擁するサウジアラビア政府は、巡礼省を設け国の威信をかけて毎年の巡礼に対応しているそうです。