イスラム教の地獄ってどんなところ?[60分でクルアーン10]

【60分でクルアーン】全体の目次!

 

このシリーズは、クルアーンの重要な記述をテーマごとに抜粋して、できるだけ分かりやすく説明していくことを目的にしています。なお、クルアーン本文は難解なため一部簡略化して表示していきます。

クルアーンには至るところに「信仰に背いたはジャハンナム(地獄)の罰が待っている、多神教徒は火責めの刑が待っている」 といったような記述が出てきますが、 実は地獄の具体的な描写は多くありません。しかし「 ジャハンナムの火に落ちて」や 「燃える火に焼かれ」 などの表現が多いため、イスラム教の地獄はおそらく「火炎地獄」のようなものを想定しているのではないかと思われます。

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地獄の全体像はどうなってるの?

まず地獄の全体像としてはこのような記述があります。

65-12
アッラーフこそは7つの天を創り、 さらにまた同数の地を創り給うお方。
15-43,44
「(性根の曲がった者どもは)今に必ずジャハンナムの中に叩き込んでやる。そこには7つの門があって、その一つ一つにそれぞれ彼らの一部を割り当ててやる」との仰せ。

これらの記述から、アッラーフは既に地獄を創っており、それは7つの門を持つ階層構造のようなものになっていると考えられているようです。伝承などによると、下の階層ほど熱く、階層ごとに、 偽善者、多神教徒、キリスト教徒、などの罪で分類され、第7の門には大罪を犯したのに悔悟しないまま死んだイスラム教徒が入れられることになっており、この第7の門の名前が「ジャハンナム」になるそうです。
クルアーンの中にはこの「ジャハンナム」という言葉が頻繁に登場しますが、「ジャハンナム(ゲヘナ)」というのは、もともとは古代エルサレムの南端にある深くて狭い谷底のゴミ捨て場を指しました。そこでは処刑された罪人の死体やゴミの焼却のために、常に火が燃やされ続け悪臭を放っていたそうです。 このような環境から「ジャハンナム」は地獄の同義語として使われていたようです。
場所について明確な記述があるわけではないのですが、天国から直接見下ろすことができることになっているので、「完全な地下空間でもないジャハンナムのような熱風と火炎が吹き荒れる低地(谷底)」 といったような場所を想定しているのではないかと思われます。 また、階層によって罪人が分けられることになっているため、ダンテの神曲(AD1300年)で描かれた、「九つの谷で罪人を区切った地球の中心へと続くすり鉢状の地獄」に近いのかもしれません。

地獄の見取り図:ボッティチェリ1490年
出展: バチカン教皇庁図書館 ©️ユニフォトプレス

 

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地獄はどんなところ?

具体的記述については、まず56章の「左組の人々」からご紹介します。

56-4~10
大地がぐらぐらと大揺れに揺れ、山々は粉々に崩れ、お前らが3組に分けられるとき…
右組(縁起のいい方)の人々は、それ、右組の人々。 左組(縁起の悪い方)みの人々は、それ、左組みの人々。 それから先頭に立つ人々(一番立派な集団)が先頭に立ち…
(中略)(先頭と右組は天国で紹介します)
56-40~56
次に左組の人々、これはどうかと言うと 、熱風と熱湯を浴び、黒煙濛々と頭上を覆うが、 涼しくもなく気持ち良くもない。
(中略)
お前たち(神兆を)嘘呼ばわりした者共は、ザックーム(地獄の底に生える悪魔の木)の木の実を食らい、 腹がはちきれそうになったところへ、今度はぐらぐら煮えた熱湯を飲まされる。(中略) これが裁きの日の彼らの相応のおもてなし。

まず「復活」した人々は「前、右、左」の3組に分けられ、前と右のグループが天国行きで、「左のグループ」が地獄行き、ということになるみたいです。
基本的に砂漠の人達ですから、暑いことが一番の拷問であって、 その苦しみが永遠に果てることがないというのが、彼らにとってに地獄なのだと思われます。
ザックームというのは地獄の底に生える木で、悪魔の頭のような実をつけ、食べるとお腹の中で暴れまわるそうです。そこへ煮えたぎった熱湯を飲まされる。 内から外から人をいたぶる、というやり方みたいですね。

88章にも少し描かれています。

88-2~7
その日にはうちしおれた顔また顔。 激しい労苦に疲れ果て。かっかと燃える火に焼かれ。 煮え湯の泉水飲まされて。 食い物はとげとげの草ばかり。 これでは肥えぬ、腹も満たせぬ。

こちらからは火責め、煮え湯責めに加え、飢えと重労働まであることが分かります。 実は天国から地獄は直接見ることができることになっているようです。もしも地獄からも天国が見えるようであれば、それ自体が精神的な拷問になると思われます。
しかしこの地獄が7つの階層をのどこを表すのか、56章と別の階層を表しているのかなどは分かりません。

エンディング

クルアーンの世界観によると、 人々が天国と地獄に振り分けられるのは、天地終末、復活、最後の審判後の「来世」である、ということになっています。そのため、原則的にはまだ誰も天国へも地獄へも行っていないことになっています
一方、キリスト教カトリックの死後の世界観によると、 亡くなった人は生前の行いによって、順次「地獄」「煉獄(れんごく)」「天国」へと振り分けられることになっています。 このカトリックの死後の世界「地獄」「煉獄」「天国」を西暦1300年に、一週間かけて生きたまま旅をしたというお話が「ダンテの神曲」になります。この中でダンテは、歴史上のいろんな人物の死後の姿を見ることになるのですが、 地獄編第28歌になんとムハンマドが登場します。ムハンマドはキリスト教を分裂させた罪で地獄に落とされ、全身を激しく切り裂かれ、はらわたを垂れ流しながらさまよい続ける、という罰を受けています。ムハンマドの預言によると、アッラーフを信じないキリスト教徒などは地獄行きということになっていましたが、キリスト教では逆にムハンマドが地獄に落とされてしまったということになります。
しかし十字軍で対立していた時代とはいえ、ダンテの描き方はあまりにも辛辣です。彼の主張がわからないわけではないのですが、僕はこの「ダンテのやり方」を好きにはなれませんでした。
この「神曲」はイスラム世界では「悪魔の書」とされています。

神曲を読んでみる

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