ナポリ民謡「サンタ・ルチア」の意味と「聖ルチア」の伝承・歴史を解説!

サンタ・ルチア」は伝統的なナポリ民謡。1849年にナポリ語(イタリア南部で話されている言語で話者数は700万人ほど)で書かれたこの歌をテオドロ・コットラウ(1827〜1879年)がイタリア語に翻訳し、このイタリア語版の歌詞が現在定着しています。カンツォーネというのは 19世紀後半から20世紀初頭にかけて主にオペラ歌手によって歌われたイタリアのポピュラーソングのこと。そのカンツォーネの中でもナポリ語で書かれたものをナポリ民謡と言うのですが、原曲がナポリ語なのであくまでナポリ民謡です。
 
 
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「サンタルチア」の意味と「聖ルチア」の伝承!

サンタ・ルチア」というのはイタリア南部・ナポリ湾に面するサンタルチア港とその周辺一帯のサンタルチア地区のこと。青い空と青い海、「ナポリを見て死ね」と言われるほどのきれいな町並み、そしてヴェスヴィオ山が有名な世界的な観光地です。
 
※この要塞のような建物の向こう側がサンタルチア港になっており、左側にサンタルチア地区があります。
 
イタリア語では「Santa Lucia」と書くのですが、「Santa(サンタ)」が「聖なる」といった女性の聖人を表す形容詞で意味は「聖ルチア」。3世紀末に実在したキリスト教の女性殉教者の名前です。なお男性の場合は通常「San(サン)」をつけることになっています(例San Francesco・聖フランチェスコ)。シチリア島南東部にあるシラクサで生まれ育ったため「シラクサのルチア(西暦283〜304年)」とも呼ばれています。
 
 
彼女に関する伝承は概ね次の通り。
 
ルチアは283年に裕福で高貴な両親のもとに生まれますが、父は5歳の時に亡くなります。母エウティシア瀉痢(しゃり・はらくだし)に苦しみますが、ルチアと共にシチリアの聖アガタ(キリスト教の殉教者・250年頃)に祈りを捧げると、枕元に聖アガタが現れエウティシアが全快するという奇跡が起こり、ルチアは信仰心を強めたそうです。
 
その後何の後ろ盾もない母エウティシアはルチアを異教徒と結婚させようとしますが、ルチアは持参金を貧者に施し自分は処女を守りイエス・キリストに嫁ぐと主張します。これに怒った婚約者は「彼女はキリスト教徒である、火あぶりにすべきだ」と密告しました(当時ローマ帝国ではキリスト教は迫害されていました)。
 
キリスト教の言い伝えによると、ルチアを捕えるために兵士たちがやってきますが、彼女は聖霊に満たされており、牛の群れにつないでも彼女を動かすことができず、木の束を周りに置いて火をつけるが燃やすことができず、最後に喉に剣を突き刺すことによって彼女は死に至った、とされています。
 
要するに彼女は、改宗して結婚することを拒みキリスト教徒のまま死を選んだのです。
 
そしてその最後に彼女は目を失うというエピソードがあるのですが、これについてはいくつかのバージョンがあるみたいです。「シラクサ総督が拷問の末に兵士にルチアの両目をえぐり取らせるが、奇跡が起き彼女は目がなくても見ることができた」とするエピソードの他、「婚約者を思いとどまらせるために自ら目を取ったが、遺体を埋葬する時彼女の目が奇跡的に回復した」というエピソードもあるそうです。
 

 
こういった伝承からルチアは目の病気を持つ人々の守護聖人(特定の職業や地域などをゆかりのある聖人や天使が守ってくれるというキリスト教の思想)とされ、絵画や像ではしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を乗せた姿で描かれています。
 
しかし彼女の生涯は不明なことが多く、確かなことは304年にシラクサで殉教したということのみで、15世紀以前には目をくり抜くなどの拷問を受けた物語は存在しないそうです。
 
更に彼女はシチリアのシラクサの守護聖人となる他、ナポリの船乗りたちの守護聖人にもなりました。その結果ナポリに「サンタルチア」という港が作られ、ナポリ民謡まで作られるに至ったそうです。つまり彼女はナポリのイメージが強いかもしれませんが、ナポリの人間ではないです。それどころかイタリアには「サンタルチア」という地名があちらこちらにあるそうです。
 
 
 
なお「ルチア」といのはラテン語で光を表す「Lux」や「Lucid」から派生した名前とされています。北欧諸国ではこれがキリスト教伝来前の晩冬の祝祭「光の祭り」と結びつき、12月13日に「聖ルチア際」として祝われているそうです。
 
布教活動や聖人崇拝に熱心でない北欧プロテスタント圏(ルーテル教会)でも崇敬されている数少ない聖人の一人でもあります。
 
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あと10年遅かったらなかった悲劇!

キリスト教というのはイエスの死後すぐに西洋で受け入れられたわけではなく、初期は迫害の対象になっていました。中でもディオクレティアヌス帝の時代(西暦284〜305年)はキリスト教徒にとって最後の大迫害と呼ばれる時代でした。
 
彼は自らをユピテル(ゼウス)の子孫とし、支配地域へ皇帝崇拝とローマの神々への礼拝を強制します。303年にはキリスト教徒の改宗や逮捕投獄の勅令を発し、多くのキリスト教徒が処刑されました。キリスト教の迫害から逃れてきた人たちが作ったとされる世界最古の共和国サンマリノ(San Marino)が建国されたのも301年です。
 
それが313年にコンスタンティヌス帝(306年〜337年)が発したミラノ勅令により180度変わります。彼自身もキリスト教に改宗するのですが、キリスト教は庇護の対象となり、以後ローマ帝国内で圧倒的な存在となっていきました。
 
要するにキリスト教における大転換の直前だったのです。ルチア(283〜304年)があと10年遅く生まれていたら、この悲劇はなかったのかもしれませんね。
 
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ナポリ民謡「サンタ・ルチア」ってどんな歌?

「聖ルチア」のエピソードをお話してきましたが、このナポリ民謡「サンタ・ルチア」はこのような歴史や伝承を語り継ぐような歌ではありません。歌詞はこのナポリ湾・サンタルチア地区の小舟の船頭が観光客に自分の船に乗るように呼びかけるパルカロール(舟歌)であって、要するに自分たちのCMソングのようなものです。一番の歌詞と和訳を取り上げてみます。
イタリア語訳詞:テオドロ・コットラウ
 
Sul mare luccica l’astro d’argento.
Placida è l’onda, prospero è il vento.
Venite all’agile barchetta mia,
Santa Lucia! Santa Lucia!
海の上に銀色の星が輝く
波は穏やかで風はそよぐ
私の軽快な小舟に来て
サンタ・ルチア!
 
ナポリ・サンタルチアの美しさを称えた上で、船頭さんが「私の小舟に来て!」と呼びかけていますよね。
 
なお1849年にテオドロ・コットラウが翻訳したこの「サンタルチア」が、ナポリの歌にイタリア語の歌詞を付けた初めての作品だったそうです。
 
このイタリア語版「サンタ・ルチア」にカタカナ歌詞と和訳をつけて歌えるようにしてみました。
 
日本語で歌ってみたい方はこちらをどうぞ。現在一般的に小松清さん訳詞の日本語歌詞が歌われていますが、他にも複数存在する日本語歌詞との比較も行っています。
 
 
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