90分で古事記 1/9回目(約6000字)
古事記上巻のあらすじ内容を9回でご紹介!
序文 編纂目的 日本書紀との違い 世界観と全体の流れ 概要
古事記は、この国の成り立ちが記された書物であり、現存する日本最古の歴史書と呼ばれています 。
ざっくり言ってしまうと、世界の始まりから推古天皇の時代までの歴史が語られる本、ということになります。
難解で登場人物(神様)も多いため、 通して読むのはなかなか難しいと思います。
この古事記上巻のあらすじと内容を、 簡単な解説を加えて9回に分けてご紹介します。
1回の内容はおよそ5~10分程度。
一通り読んでいただければ、 古事記のあらすじと神話の意味をおおよそ理解していただけるように、 重要なエピソードに絞ってご紹介します。
今回第1回目は、古事記の序文、成立の背景や目的、 日本書紀との違い、 世界観などの概要をご紹介します。
なので具体的なあらすじは第2回目からになります。
編纂目的や古事記の世界観を、ある程度を抑えた方が理解しやすいと思います。
少し大変ではありますが、 一通り読んでみてください。
まずは古事記の序文と目的からご案内します。
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目次
古事記の成立と序文の内容
古事記の序文には、古事記成立の様子が記述されています。読んでみると編纂に少し変わった経緯があることが分かると思います。
序文によると古事記は、 第40代天武天皇(673年から686年 )の発案により編纂が開始(681年)されます。
編纂には舎人(とねり:天皇の周辺で雑事をする役職)の当時28歳の稗田阿礼(ヒエダノアレ)という人物が携わりました。
大変な記憶力の持ち主だとされています。 天皇はこの稗田阿礼に誦習(しょうしゅう: 繰り返し読んで覚えること )という方法により歴史資料の暗記を命じます。
しかし天皇の崩御により編纂は中断。
約30年後の711年9月、 第43代元明天皇が太安万侶(オオノヤスマロ: 上級の文官らしい)に対し、 古事記編纂の再開を命じます。
そして太安万侶の協力者として選ばれたのが、 30年前に古事記の編纂に携わっていた稗田阿礼でした。
つまり稗田阿礼が30年前に記憶した歴史を口述し、それを太安万侶が記述するという形で編纂が行われたようです。
そして約4ヶ月後の712年1月 古事記は完成。
序文にはこのように記述されています。
このように古事記の編纂は、稗田阿礼の記憶に頼るところが非常に大きかったとされています。そして実質4ヶ月で完成させたことになります。
しかし序文には疑問点もあり、本当はもっと早くに概ね完成したものがあって、 序文だけ後でくっつけたとする説もあります。
確かにちょっと無理のある企画にも感じます。
※当時、家や土地の歴史を語り継ぐ「語り部(かたりべ)」 と呼ばれる職業があり、稗田阿礼もその「語り部」の家に生まれた人間と考えられています。アメノウズメ(芸能の神)の子孫とされています。
古事記編纂の背景と目的
古事記編纂の目的は大きく2つに別れます。
1つが「日本を一つにまとめること」。
もう1つが「真実の伝承」。
目的1「 日本を一つにまとめること(人心の統一)
実は古事記成立の背景には、672年に起こった壬申(じんじん)の乱が影響していると言われています。
壬申の乱は、 国家が分裂してもおかしくないほどの巨大な内乱でした。
勝利した天武天皇は、二度とこのような内乱を起こさない体制を作るため、強力な「権力集中」と「人心の統一」を試みます。
まず「中央集権化(豪族たちの権力を天皇に集中させること)」を図るには、「律令制」を導入し天皇の定める法律に従わせる必要がありましたが、 豪族たちは当然反発します。
その反発を抑えるためには、 当時バラバラだった歴史観や価値観、宗教観を天皇を中心とするものに統一する必要があり、それにはを「統一した歴史書の編纂」 が必要でした。
天武天皇は、大友皇子が推奨した唐風の文化ではなく、あくまで日本古来の神道を重視し、民族意識の高揚を図ることで「日本を一つにまとめること」を考えました。
この方針のもとに編纂を命じたのが「古事記」だったようです。
あくまで目的は「人心の統一」、「日本を一つにまとめること」であり、 そのための手段として 「統一した歴史書の編纂」や「天皇の神格化」を行った、 ということになるようです。
天武天皇は「天皇」を称号ととし「日本」を国号とした最初の天皇とも言われています。
目的2「 真実の伝承 (歴史の取捨選択)」
序文によると、天武天皇自身は編纂の目的を、「 これまでの歴史書の偽りを削り、「真実」を選んで後世に伝えること」とおっしゃています。
〈 事実と真実の違い〉
※ 「事実」は本当にあったことで、 客観的なこと。
※ これに対し「真実」は嘘偽りのないことで、主観的なこと。
つまり編纂者が正しいと信じていればそれが「真実」です。 客観的な「事実」である必要はありません。
実は古事記には、その元となる書物が存在します。
当時、「帝記」(ていき: 天皇の系譜などを記したもの)や「旧辞」(きゅうじ:神話などの伝承)と呼ばれる歴史書が存在し、各豪族がそれぞれに所有していました。(これらの書物は現存していませんいません)
稗田阿礼(ヒエダノアレ)はこれらの書物や口伝を誦習(暗記)したようです。
しかし豪族たちは、これらの書物に勝手に偽りを加えることも多かったようです。
誰だって自分のご先祖のことは偉く書きたいですからね。
そこで天皇は、各豪族がバラバラに持っていたこれら歴史書を一つに束ね、 天皇が正しいと信じる「真実」に基づき、伝承の取捨選択をしようとしたようです。
天武天皇の言う「真実」とは、当然「天皇の統治の正当性」を担保するものであり、 これを後の世に「伝承」することが古事記編纂の目的となります。
つまり天皇にとって都合の悪いものは削られる、 と思って頂いていいと思います。
これら「編纂者の目的や背景」を頭に置いておくと、古事記を俯瞰して読むことができ、理解も深まると思います。ぜひ意識してみてください。
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意外と都合の悪い歴史も多い
「真実の伝承」や「人心の統一(日本を一つにまとめること)」という明確な目的があるわけですから、その中心となるのは当然天皇家の統治の正統性であり、省かざるを得ない都合の悪い事実もあったかと思われます。
しかしその割には天皇に都合の悪い事実も多く、編纂方針の統一性にも違和感を覚えます。(むしろそのおかげで面白くなっていると思います)
天皇の神格性を重視しているところもあれば、 歴史を語り継ぐことを重視していると思われるところもあります。
編纂において稗田阿礼(アレ)の記憶に頼らざるを得なかったとすれば、 歴史を語り継ぎたい稗田阿礼(語り部側)の意向も反映させざるを得なかったのかもしれませんね。
目的は達成された?
出典:ウィキペディア(本居宣長の古事記伝)
実はこの古事記、 江戸時代に本居宣長(もとおりのりなが)が注釈を書くまでは、ほとんど忘れられた書物になっていたそうです。
しかも古事記成立の公の記録がないこともあり、「偽書扱い」を受けていたそうです。
これだけ深く日本の宗教文化に影響を与えているのに…ちょっと意外ですよね。
しかし、古事記は現在にも形を変えることなくその内容を伝え、編纂から1300年以上にわたって国家(天皇家)が存続していることを考えると、「真実の伝承」や「日本を一つにまとめる」という目的は果たしてきた、と言えそうです。
特に日本は、今でも天皇家を中心に一つにまとまっています。
この事業は成功だったと言えるのかもしれませんね。
古事記と日本書紀の違い
古事記と同時代の日本の歴史を記した書物に日本書紀があります。
同じ国の同じ時代の歴史を語るわけなので、当然古事記と重複する箇所も多いのですが、 実はかなり異なる書物です。
最大の違いは、編纂の目的だと言われています。
上記の通り、「古事記」はあくまで国内向けであり、最大の目的は「日本を一つにまとめること」。人心の統一、天皇統治の正統性の担保と真実の伝承といったところが目的になります。
一方「日本書紀」は外国向けであり、国の正史として対外的に自国の正当性を主張すること、外交を有利に展開することを目的に編纂しています。当時は中国のように 、歴代の歴史書があることが由緒ある国家の証であり、 大半を神話で構成するような書物では、 対外的には相手にされなかったそうです。
このように編纂の目的が異なるため、一見似ているようで多くの違いがあります。
例えば 古事記は「大和言葉」で書かれているのに対し、日本書紀は 当時の国際語である「漢語」で書かれています。
日本書紀が当時から見て新しい時代の歴史を詳細に記録しているのに対し、古事記はより古い時代、特に神話を重視しています。
天皇家にとって都合の悪い出雲神話の物語は、対外的なメンツを重要視する日本書紀ではほとんど語られません。
逆に古事記には天皇の素晴らしさばかりでなく、都合の悪い出雲神話や、天皇に対する批判的な内容も記述されています。
〈古事記と日本書紀の違い〉
古事記 | 日本書紀 | |
ボリューム | 3巻 | 30巻 |
編纂期間 | 4ヶ月 | 39年 |
成立 | 712年 | 720年 |
形式 | 物語調 | 編年体 |
表記 | 和化漢文 | 漢文 |
神話の扱い | 多い 1/3 | 少ない 2/30( 出雲神話を大幅カット) |
注目する時代 | 新しい時代 | 古い時代や神話 |
対象 | 国内向け | 外国向け |
目的 | 人心統一と天皇家の正統性を伝承 | 自国の正当性を主張 |
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古事記の構成
古事記は 現代では音読みし、[こじき]と 読むのが一般的ですが、 当時の日本民族の言語である大和言葉では[ふることぶみ]と読んでいました。
奈良時代の原本は残っていませんが、南北朝時代の写本が現存しています。
古事記は上、中 、下巻の3巻から構成されています。
巻 | 時代 | 主なエピソード |
上巻(かみつまき) | 神の時代(神々の誕生から初代神武天皇の誕生まで) | 天地開闢 イザナギとイザナミ 天岩屋戸 ヤマタノオロチ オオクニヌシの国譲り 天孫降臨 日向三代など |
中巻(なかつまき) | 神と天皇の時代( 神武の東征から 15代応神天皇の時代まで) | 初代神武天皇の東征と即位 欠史八代 ヤマトタケルの全国遠征 各天皇後継問題など |
下巻(しもつまき) | 天皇の時代(16代仁徳天皇から33代推古天皇の時代まで) | 16代仁徳天皇の仁政と女性問題 マヨワの安康天皇暗殺 21代雄略天皇の悪行など |
※古事記では25代武烈天皇以降は、皇統記録をまとめただけで物語はなくなります。当時から見て近い時代は日本書紀に任せ、古事記はより古い時代の伝承に重きを置いていることが伺えます。
古事記の世界観と全体の流れ
この古事記では、独自の世界観に基づいて 物語が進行していきます。
あらすじに入る前に、その世界観と全体の流れを少し解説しておきます。
(画像はイメージです)
世界観
①高天の原(たかまのはら)
写真右出典:ウィキペディア(宮崎県高千穂町岩戸天安河原)
神々(天つ神)が住む世界とされる天上界。
雲の上にあると考えられているようです。読み方は複数存在します。歴史学的に正しいのは「たかまがはら」とされますが、一般的には「たかまのはら」がよく使われるそうです。
天安可(アメノヤスカワ)はみんなで集まって会議を行う国会のような場所になります。
②葦原中国(あしはらのなかつくに)
神々(国つ神)と人間が暮らす地上界(日本)。
天上の高天の原に対する「地上世界」を意味しますが、「日本」もしくは「出雲」を意味することもあり、場面によって意味合いが異なることもあります。 読み方だけは覚えておいてください。
③黄泉の国(よみのくに)
死者の世界である薄暗くて恐ろしい地下世界。
霊体だけ分離するという考え方は取らず、生身の体のまま行く世界のようです。また、黄泉の国の食べ物を食べなければ、 生きたまま行って帰ってくることも可能とされています。
古事記では、世界は垂直方向にこの3層から構成されていると考えられています。
④根之型州国(ねのかたすくに)
もう一つ、④「根之型州国」(ねのかたすくに:後にスサノオが移住する国)と呼ばれる世界が登場します。「黄泉の国」と同一か、少し異なる「死者の国」と考えられているようです。「死者の国」が 二つあると考えてもいいかもしれません。(はっきりと定義できないそうです)
全体の流れ
最初に誕生するのが「高天の原」であり、 他の神々の命を受けたイザナギとイザナミによって 「葦原中国」(地上:日本)が作られていきます。
しかしイザナミの死によって 「葦原中国(地上)」の「国作り」は長く中断することになり、 後にオオクニヌシに引き継がれ完成します。
そしてその平定された地上世界の統治を「高天の原」に譲らせ(オオクニヌシの国譲り)、「高天の原」から統治者を派遣(天孫降臨)するというのが古事記上巻の大きな流れになります。
この「国譲りの正当性の担保(奪ったのではない。 高天の原が先に作っていたのだ…)」に、古事記上巻の多くが費やされることになりますので、少し意識しておいてください。
その他の基本情報
高天の原(たかまのはら)に住む神のことを「天つ神(あまつかみ)」と言います。神様には高天の原(天上)に住む神と、 葦原中国(地上)に住む神「国つ神(くにつかみ)」の2種類が存在し、「天つ神」の方が各が上と考えられているようです。
「高天の原」のリーダーは天照大御神(アマテラスオオミカミ)であり、他の神々との合議のもと葦原中国(日本)に対して使者を送るなど、様々な介入を行います。
有名な天孫降臨(てんそんこうりん)は、 アマテラスの孫の ニニギが、「葦原中国」(日本)を治めるため 「高天の原」から地上に下っていくことを言います。
古事記の世界観によると 、現在も「高天の原(天上)」を治めているのは、天照大御神になるようです。
一方人間が住めるのは、「葦原中国(地上)」のみになりますが、 聖書のような人類の創造の説話はなくく、 人間はいつのまにか登場することになります。
神々は不老(年をとらない)ではありますが、不死ではありません。 中には殺される神様も登場します。
次回第2回目からはあらすじに入ります。
天地開闢からイザナギとイザナミによる「国産み」と「神産み」の様子をご紹介します。
目次
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