イスラム教はなぜ一夫多妻制で女性の服装にうるさいの?[60分でクルアーン6]

【60分でクルアーン】全体の目次!

 

このシリーズは、クルアーンの重要な記述をテーマごとに抜粋して、できるだけ分かりやすく説明していくことを目的にしています。なお、クルアーン本文は難解なため一部簡略化して表示します。

イスラム教の世界では、黒いベールに覆われた女性の服装一夫多妻制など、女性に関する特殊な文化が存在します。そのような文化が存在する理由を一言で言ってしまうとクルアーンにそう書いてあるから。 このページでは、実際そのクルアーンにはなんと書いてあるのか、なぜそのような記述があるのか、について見ていきたいと思います。

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女性の服装

こちらは現在も続く女性の服装に関する有名な神の言葉になります。

24-31
(女の信仰者は) 慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分は仕方ないが、その他の美しいところは人に見せぬよう 。胸には覆いをかぶせるよう。(中略:自分の親族など) 以外には決して自分の(体はもちろん)身の飾りを見せたりしないよう。 女の信者達に言ってやりなさい。(とアッラーフがムハンマドに言っている)

イスラムの女性が全身ベールに包まれているのはこの言葉に基づいています。「美しいところは全て隠せ」という神の言葉ですから、胸やお尻はもちろん、髪の毛やうなじ、そしてボディーライン…と結局全身を隠さなくてはいけなくなったようです。 地域によっても多少異なるそうですが原則として「顔と手」以外はすべて隠すことになっているそうです
イスラムにおいては「女性は大切な人にのみ美しさを見せなさい」ということなのですね。

もう少し具体的な服装の指示が記述がこちらになります。

33-59
これ預言者、お前の妻たちにも、娘たちにも、また一般信徒の女たちにも、(人前に出るときは) 必ず長衣で(頭から足まで)すっぽり体を包み込んでいくように申し付けよ。 こうすれば誰だかすぐわかって、しかも害されずに済む

これはイスラムの女性に対し人前に出る時は、 頭から足まですっぽりと包み込むような服を着なさいという指示になります。 当然ボディラインや髪の毛も含め美しいところを見せないためですが、 具体的には「ヒジャブ(アラビア語で「覆い」の意味=英語のヴェール)」と呼ばれるスカーフのような布で頭髪を覆ったり、「チャードル」と呼ばれる大きな半円形の布で頭から全身を覆うのが一般的です。

ヒジャブ 出典:ウィキペディア

チャードル 出典:ウィキペディア

全身を覆う目的についてアッラーフは「襲われにくくするため」とおっしゃっていますが、 上の24-31に「(女の信仰者は) 慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき」とあるため、男女ともに挑発的な身なりをせず節度を保つことで、秩序あるイスラム社会を築く狙いもあったのではないかと思われます。 ムハンマドは指導者としても有能だったようですね。

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一夫多妻制の根拠

イスラム社会における結婚制度といえば一夫多妻制度が有名ですよね。 その根拠とされているのがクルアーンのこの記述になります。

4-3
 もし汝(なんじ)らが、孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女を娶るが良い、2人なり、3人なり、4人なり
だがもし(妻が多くて)公平にできないようならば一人だけにしておけ

少し解釈が難しいかもしれませんが、こういうことを表してるようです。 「ムハンマドの時代、相次ぐ戦争により夫を失った寡婦や孤児が増加したため、財力のある男性が自分の子と公正に扱える範囲内で面倒をみることで、イスラム社会全体で弱者の救済をしよう。」
クルアーン(ムハンマド)の思想は社会的弱者救済の社会主義的な考え方です。 イスラム社会全体の、連帯感(結束力)を高める目的もあったのではないかと思われます。
実はこれ以前からアラブでは一夫多妻制が存在していたのですが、逆にこれ以後妻の上限が四人に制限された、ということになるようです。 それから 「公平にできないようならば一人だけにしておけ 」とあるように、それぞれの妻の間に差異を設けることは許されません。 つまりかつて日本にあった「正妻側室制度」とは異なります。
「一夫多妻制」は現在のイスラム社会でも認められていますが、 夫には妻を養う義務があって男性側の負担が大きいこともあり、現在ではその数は極めて少数です。

ムハンマドだけの特例?

一方でクルアーンには、このような預言もあります。

33-49
これ預言者(ムハンマド)よ、汝(なんじ)に許したのは正式に金を払った妻、奴隷女、(親族の娘たち)で汝と一緒にメッカから移ってきたもの、 自ら預言者に身を捧げる信者の女で嫁にしたいと思ったら誰でも良い。 ただしこれは汝(ムハンマド)だけの特権であって一般の信者は許されぬ。

「それはずるいよ!」と思われました? 実はムハンマドにはすでに多数の妻がおり、 確認されているだけでも22人もいたそうです。 後付のルールで4人に減らすわけにもいかず、アッラーフがムハンマドのために特例を設けてあげた、ということになるようです。 なので次のような続きがあります。

49-50
彼ら(一般の信者)に与えた既定(4-3の4人まで)のことは分かっておる。これは汝(ムハンマド)が非難されてはいけないと思っての処置である。
(中略)
49-52
だが汝(ムハンマド)も、今後はもう(これ以上の)女はご法度である。またいかに素敵な美人が出てきても、それを(現在の妻と)取り替えたりしてはいけない。

少し贅沢ですが、ムハンマドもしっかり神様に戒められたみたいですね。 ムハンマドはただの預言者というわけでなく、政治指導者であり、また軍の最高司令官でもある「英雄」です。さぞかしモテたのでしょうね。

エンディング

女性の服装や一夫多妻制度については、 イスラム社会の秩序の維持や結束力の強化など、 アッラーフ(ムハンマド)の狙いがあったものと思われます。しかしクルアーンには、確かに当時のアラブ社会にあった男尊女卑の傾向が見て取れます。死後の天国にいたっては、完全に男性目線での楽園となっています。
ですが世の中の常識というものは時代とともに変わっていくものであり、特別な事情がない限り大多数の国は世界のスタンダードに合わせようとします。7世紀に活躍した「ムハンマド」には22人の妻がいたと言われていますが、 19世紀の江戸幕府第11代将軍「徳川家斉」は16人の妻の元に50人以上の子供を作ったと言われています。 日本も割と最近まで一夫多妻制を行っており、男尊女卑の文化がありました。しかしその後日本は開国して国際社会に合わせました。ところがイスラムにおいては 宗教の根本教典クルアーンに記載されているため、国際常識が変わったからといっても簡単には変更できません。今後イスラム社会において、女性の社会進出が進むことはあっても、これらの制度を急に変更することは難しいと思われます。

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