「天地終末と復活、最後の審判」って何? イスラム教の死後の世界はどうなってるの? [60分でクルアーン8]

 

【60分でクルアーン】全体の目次!

 

ここではイスラム教のいわゆる「死後の世界観」を見ていくことになりますが、少し難しいのであらかじめその世界観を説明しておきます。その上で本文の抜粋を読んでみてください。なおクルアーン本文は難解な表現が多いため、一部簡略化して記載しています。

イスラム教(クルアーン)の「死後の世界観」はこのようになっています。

① 我々の両肩にはそれぞれ二人の天使がついており、その人の善行と悪行を全て記録している
② そして人が死ぬと魂と肉体が分離し、肉体は一旦朽ち果てる
③ やがて「天地終末の日」が訪れる(まだ訪れていない。ここまでを現世「ドンヤー」と言う)
④ 直後に「復活」の日が訪れ、死者の肉体は「復活」し魂が入り元の人間に戻る
⑤ 全員裁きの場所に引き出され「最後の審判」が行われる
⑥ 生前の善行(クルアーンの教えを守ること)が悪行を少しでも勝っていれば、右手に帳簿を渡され天国行き
⑦ 生前の悪行(クルアーンの教えを破ること)が善行を少しでも勝っていれば、左手に帳簿を渡され地獄行き(ここからを来世「アーヒラ」と言う。ただし仏教の来世(輪廻)とは異なる)
⑧ 一度地獄行きとなった人間は、どれだけ反省しても永久に天国に行くことができない

 

図で書いてみるとこんな感じです…汚くてごめんね。

この世は神による「天地創造」によって始まったからこそ、神による「天地終末」に終わる、と考えられています。そして「③天地終末の日」はまだ訪れていないため、まだ誰も天国へも地獄へも行っていない、という世界観になります
この死後の世界観を頭の片隅に置きながら、以下の抜粋を読んでみてください。

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①帳簿への記録

ここからは本文の抜粋になります。
こちらは天使たちによる帳簿への記録(上の①)を表します。

13-9
お前たち、言葉をそっと胸に秘めておこうが、大声で喋り散らそうが(中略)結局同じこと。前にも後ろにも見張りの天使がついていて、アッラーフの命により、一々監視している。
86-4
魂にはそれぞれ番人(天使)がつけてある。
50-16
2名の(天使)が一緒に出会って、一方は右、他方は左に席を取れば、ほんの一言もの言っても、必ず傍に待ち構えた番人が(直ちにそれを記録する)。
99-7,8
ただ一粒の重みでも善をした者はそれを見る。
ただ一粒の重みでも悪をした者はそれを見る。

人間の両肩にはそれぞれ二人ずつ天使がついており、善行と悪行をすべて帳簿に記録している、ということを表しています。これを読む限り、どうやら心の中まで読まれており、隠し事は一切通用しないようですね。

下の第69章18節では、右手にこの「帳簿」を受け取ったものが天国を約束され大はしゃぎする一方で、 左手に帳簿を受け取ったものが絶望感に打ちひしがれる様子が描かれています。

③天地終末

次は「天地終末」の様子(上の③)になります。

69-13~17
ラッパがひとふき嚠喨(りゅうりょう)と鳴りひびき、大地が山々もろとも持ち上げられ、 ぐしゃっとただ一打ちに叩き潰されてしまう時(天地の終末)、 その日こそ見るも恐ろしい光景が出現する。
空は裂け割れ、あたりには天使がずらりと 立ち並ぶ。 その日主の玉座を頭上に捧げまつるは8天使。

この世は神による「天地創造」によって始まったため、神による「天地終末」によって終わると考えます。クルアーンによるとこの「③天地終末の日」の合図は、「ラッパ」ということになるようです。「大地が持ち上げられたうえで叩き潰され、空が裂け」という表現はまさにこの世の終わりのような恐ろしい光景です。要するにせっかく「復活」しても地上世界は人が住める世界ではなくなる。だから別世界の「天国」か「地獄」に行くしかなくなる、 ということになるのだと思われます。

④復活

こちらは「復活」(④)の根拠を表します。

75-3
人間というものは、己の骨がよもやアッラーフに集められることはあるまいと考えているのか、 いやいや、指の先まですっかり元通りにしてみせようぞ。
36-81
天と地を創造したほどのお方が、彼らと同じようなものを(もう一度)創ることがおできにならなくてどうしよう。 限りない想像力を持ったお方、全知の神におわすに。

これは世界を創造したのはアッラーフであり、その気になればいつでも人間を生き返らせることができる(復活させられる)ということを表しています。

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⑤最後の審判

 

そしてこちらは「最後の審判」(⑤)の根拠を表す言葉。

1-4
裁き(審判)の日の主催者
36-83
もったいなくもその手の内にあらゆるものの主権を握りたもうお方。お前たちみなを最後に連れ戻されていくお方。

36章83節はあアッラーフが「最後の審判」を主催する権限を持つことを表し、 ムハンマドの啓示の核心を説いているとも言われています。要するに1章4節にあるようにアッラーフは「裁きの日の主催者」であり、天国も地獄もアッラーフしだい。だからこそ絶対的な神賛美とクルアーンの遵守が求められます。

「復活」(④)と「最後の審判」(⑤)の様子をもう少し具体的に語ったものがこちらになります。

39-68~69
嚠喨(りゅうりょう)とラッパが鳴り渡れば(復活の瞬間の描写)、 天にあるもの地にあるもの、愕然(がくぜん)として気を失う。アッラーフの特別の思し召しによるもの以外は誰もかも。 次でもう一度吹き鳴らされると、皆起き上がって辺りを見回す。 大地は主の御光に煌々と照り輝き、 帳簿が持ち出され、全ての預言者、あらゆる証人が入場してきて公平な裁きが始まる。

イスラム教では「④復活」の瞬間というのも、どうやら「ラッパ」が吹き鳴らされるようですね。そしてみんなが意識を失い、もう一度ラッパが鳴らされ意識を取り戻すと、死者が全員復活している、ということになるみたいです。そして「大地は主の御光で煌々と輝き」とあるため、 光り輝く地上世界において、アッラーフの目の前で、復活した歴史上のすべての人類の裁判が行われる、ということになるみたいです。

⑥⑦⑧ 天国行きと地獄行き、そして永住

さらに39章の続き39-71からはこの「審判の結果」(⑥⑦)の様子が記されていますので少しご紹介します。

39-71
罰当たりどもは群れをなしてジャハンナム( 地獄)の方へと駆り立てられていく。 彼らが到着すると扉が開いて門番が「(中略) 神様の啓示を読んで聞かせ、今日のこの日の対面を警告しておったはずではないか。(中略) さあジャハンナムの門に入って永遠に住むがよい」と言う。

39-73
一方で主を恐れていた連中は、これまた群れを成して楽園(天国)の方へと駆り立てられていく。 そこに到着すると扉が開いて門番が「 ようこそおいで。お前がたは見上げたものじゃ。さあ遠慮なく中に入って、永遠に住まうが良い」と言う。

このような描写になっています。 ここからわかることは地獄にも天国にも門があって門番がいる。そしてどちらもそこから永久に出ることができない(⑧永住)、ということになるようです。

もう1つ「最後の審判の結果」(⑥⑦)をご紹介します。

69-18~29
帳簿を右手に渡されたものは言うだろう。「さあ皆さん手にとって読んで下さい、この私の帳簿を」と
これに対して、帳簿を左手に渡されたものどもはきっとこう言うであろう。 「ああ情けない、こんな帳簿などもらーの方がマシだった。 いっそ何もかも終わりになってしまえばいいのに。」

こちらは個人にスポットライトを当てた、アッラーフの例え話しのようです。アッラーフは随分いろんなタッチで死後の世界を表現するのですね。

緊迫感迫る「シャーマン的終末思想」の第81章

さらに第81章にも「③天地終末」から「④復活」、「⑤⑥⑦最後の審判」までが描かれていますが、 こちらはかなり緊迫感のある描写となっています。

81-1~14
1 太陽が暗黒でぐるぐる巻きにされる時
2 星々が落ちる時
3 山々が飛び散る時
4 らくだを見かける日もなくなる時
5 野獣ら続々と集い来る時
6 海洋ふつふつと煮えたぎる時
(ここまでが天地終末」(③)。)
7 魂ことごとく組み合わされる時
(これが「復活」を表します()。)
8,9 生き埋めの嬰児が、何の罪あって殺されたと聞かれる時
10 帳簿がさっと開かれる時
11 天地がメリメリ剥ぎ取られる時
(ここまでが「最後の審判」(⑤)。)
12 地獄がかっと焚かれる時
13 天国がグッと近づく時
14 どの魂も己が所業を知る
(ここまでが「審判の結果」を表すそうです(⑥⑦)。)

いわゆる死後の世界の終末的な記述は、クルアーン全体の中でも終盤に記載されている傾向があり、ムハンマドの啓示の中でも初期のものに多いとされています。この初期の終末論的な預言には「非論理的なシャーマン的な言葉」で語られるものがあります。
この第81章がまさにそれ
であり、現代の日本人が読んでも緊迫感を感じます。昔のアラビア人たちは恐怖を感じたのではないでしょうか。

エンディング

イメージできましたか?
こようにイスラム教の死後の世界観は「①帳簿への記録②死んで魂が分離③天地終末④復活⑤最後の審判⑥⑦天国と地獄への振り分け⑧永住」という順序をたどります。そして「③天地終末」はまだ訪れていないため、原則的にはまだ誰も天国へも地獄へも行っていません。
クルアーンの記載は断片的であちらこちらに飛び散っており、また表現方法もご覧の通りバラバラです。そのため全体像も掴みにくく、イメージするのも難しいと思います。ですがアッラーフが「裁きの日の主催者(1-4)」であって、死後の世界の全ての決定権を持っている、ということがクルアーンの最重要テーマであり、この世界観が第1章「開扉の章」(アルファティハ)に色濃く反映されています。お時間のある方はこのページを読んだ後、改めて第1章をじっくり読んでみてください。

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