【90分で古事記⑦】葦原中国平定とオオクニヌシの国譲り あらすじ内容を解説!

写真出典:ウィキペディア
90分で古事記 7/9回目(約7500字)
古事記上巻のあらすじ内容を9回でご紹介!
葦原中国の平定 建御雷神 大国主の国譲り
 
根之型州国(ねのかたすくに)から戻った オオクニヌシが兄の八十神達を討ち取り、 スクナビコナとオオモノヌシの協力の元、 葦原中国(日本)の「国作り」を完成させます。 しかしまもなく、高天の原から「国譲り」を迫られることになります。
 
そもそもイザナギとイザナミは、天つ神の命令によって 葦原中国(あしはらのなかつくに)の「国作り」を行なっていました。 ところがイザナミの死によって その「国作り」が中断し、葦原中国(日本)はそのまま放置されていたことになります。オオクニヌシが葦原中国の「国作り」を完成させますが、「あくまでそれはイザナギの国作りを引き継いだものであって、 そもそもの命令を出したのは高天の原(たかまのはら)である。よって統治すべきは天つ神(あまつかみ)の御子である。」 ということを古事記は主張したいようです。
 
最近の発掘調査により「国譲り」は 単なる神話ではなく、 「大和」と「出雲」の現実の争いを反映したものなのでは、と考えられるようになりました。 「出雲」と「大和」の間に何があったのか? 神話は何を意味しているのか? その辺りを意識しながら読んでみると面白いと思います。
 
 
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大国主神の国作り 葦原中国平定

 
※以下、古事記原文をかなり割愛した大雑把な流れです。
 
 
出雲へ帰ったオオクニヌシ(=オオナムジ)は、 スサノオの言葉通り、兄のヤソガミたちを次々に倒し、「国作り」を始めました。
(古事記では 八十神(ヤソガミ)はオオクニヌシの兄たちということになっていますが、 ライバルにあたる近隣諸国を表しているのではないかとも考えられています。 それをスセリビメを娶ることにより、スサノオの権威を利用して退けたのでは?とも考えられているようです。)
 
 
オオクニヌシは、勢力拡大のため各地で結婚を行いました。
(当時はその土地の有力者の娘を娶ることで、 友好を強化(勢力拡大)するとともに、 その土地の神の霊力を得られると考えられていたようです。)
 
 
しかし正妻のスセリビメは 大変嫉妬深く、オオクニヌシも随分困ったようです。
(割愛しますが、 古事記にはオオクニヌシと妻たちとの間に交わされた いくつかの歌が残されています。)
 
 
稲葉のヤガミヒメも嫉妬を恐れて、子供を置いて実家に帰ります。
(兎の予言もスセリビメの嫉妬には勝てなかったようです。)
 
 
オオクニヌシは各地で妻子を増やして勢力拡大を図りましたが、正妻のスセリビメとの間には子供はできませんでした。
(オオクニヌシは恋多き男神です。下のオオクニヌシの系譜では2柱しか妻を書いていませんが、古事記の記録によると6柱の妻がいます。)
 
 
その後オオクニヌシは、カミムスヒ(造化三神の偉い神様)の子である「少名毘古那神(スクナビコナノカミ)」と、大和の「大物主神(オオモノヌシノカミ)」の協力の元、葦原中国の「国作り」を進め、ついに完成させます。
(神話上、葦原中国(日本)を完成(平定)させたのはあくまでオオクニヌシになります。)
 
 

〈スクナビコとオオモノヌシの協力の意味 葦原中国の統治権は誰のもの?〉

一見するとなんの話なのかよくわかりませんが、竹田恒泰さんは「国譲りの正当性を担保するためのもの」であるとし、次のように解説します 。
 
 1 そもそも葦原中国は高天の原の一部であって、イザナキ の神勅により、アマテラスが知らす(治める)地位にあること。
 
2 オオクニヌシはアマテラスの親族ではあるが、スサノオの6世(↓当時の皇位継承権は5世まで)であるため正統な統治権がない。
 
天つ神(スクナビコ)と大和の神(オオモノヌシ)の関与により国造りが行われたこと
 
4 オオクニヌシは天つ神 (カミムスヒノカミ)によって生き返えさせられたこと。
 
オオクニヌシの系譜
 
これらの理由によりオオクニヌシが完成させた葦原中国(日本)の正統な統治権は、天つ神の御子にある。統治者を任命できるのはアマテラスである。 この国譲りには正当な理由がある。と竹田さんは解説しています。
 
古事記の各エピソードや神々の系譜には、さまざまな政治的な意味が隠されているのですね。……とは言え、史実としてそんな理屈のみで、本当に国が譲られるとはちょっと思えません。 逆に古事記が正当化に必死になっている印象すら感じます。 実際のところ出雲では何が起こっていたのでしょうか……?
 
 

葦原中国(あしはらのなかつくに)平定

ここからのお話は高天の原(雲の上の天上世界)が舞台になります。(画像はイメージです…)

アメノホヒノカミとアメノワカヒコ

出典:ウィキペディア
(宮崎県高千穂町岩戸天安河原
 
単なる神話と考えられていた「国譲り」は、 「出雲の巨大神殿の発見」などにより、何らかの事実を反映している可能性が高いと考えられるようになりました。 ここで語られる説話は、いったい何を意味しているのでしょうか……
以下、原文を少しだけ割愛したあらすじになります。
 
 
登場する神様
アマテラス(高天の原の最高神)
タカミムスヒ(最初期に誕生した偉い神様)
オモイカネ(知恵の神:タカミムスヒの子)
アメノオシホミミ(誓約で誕生したアマテラスの子)
アメノホヒ(誓約で誕生したアマテラスの子)
アメノワカヒコ(アマツクニタマの子)
オオクニヌシ(葦原中国の国作りを完成させた神様)
赤字の神様がとても重要。オレンジの神様はちょっと重要です。
 
 
アマテラスオオクニヌシの「国作り」が完成すると、自らの子アメノオシホミミ(スサノオとのうけいで誕生した五柱の一神)による葦原中国(日本)の統治を考えます。
(これが「大和」による「出雲」侵攻計画ではないかと考えられています。「国譲り」の理屈は先ほどご紹介した通りですが、それはあくまで勝者(古事記)の理屈です。)
 
 
タカミムスヒ(造化三神の偉い神様)とアマテラスは、天安河(あめのやすかわ=天の岩屋戸でも登場したみんなで会議をするところ)に八百万の神を集めてオモイカネ(高天の原の総理大臣的存在)に策を考えさせました。
 
 
そしてアマテラスは言いました。「葦原中国(日本)は 私の子のアメノオシホミミが統治すべきであると考えている。 荒ぶる国津神(くにつかみ)を黙らせるにはどの神を派遣すべきだろうか?
(この段階では、あくまで統治するのはアマテラスの子のオシホミミ(次回これがニニギに代わります)を想定。 その前段階として誰を派遣するかの話です。)
 
 
オモイカネと八百万の神は会議を開き「アメノホヒ(アマテラスの子)を派遣すべきである」と決定しました。
 
 
しかし派遣したアメノホヒは、オオクニヌシに媚びをへつらい3年も連絡をよこしませんでした。
 
 
 これに対しタカミムスヒアマテラスは、 再び神々に問います。「 アメノホヒが連絡をよこさない、 誰を派遣すべきだろうか?
 
 
オモイカネが応えます。「天津国玉神の子の天若日子(アメノワカヒコ) 派遣 させるべきです。
 
 
しかし派遣されたアメノワカヒコは、オオクニヌシの娘と結婚し、 国を自分のものにしようと企み、 8年も連絡をよこしませんでした。
 
 
アマテラスタカミムスヒが会議を開くと、オモイカネが「ナキメという雉(きじ)を派遣し連絡をとりましょう」と提案します。
 
 
しかしアメノワカヒコは、この派遣されたナキメを弓矢で射殺。
(要するに高天の原の連絡役を殺害 。 完全に出雲に寝返ったことになります。)
 
 
貫いた矢はそのままアマテラスタカミムスヒの元まで飛んでいきました。
 
 
タカミムスヒが「 アメノワカヒコが邪な心を持っているならば、 アメノワカヒコにあたって死ね。」と呪いをかけて矢を投げ返すと、アメノワカヒコに当たり死にました。
 
 

〈実体の無いタカミムスヒが矢を投げる?〉

つまり二柱ともオオクニヌシに懐柔されたことになります。裏切り者が打たれるのは分かるのですが、 タカミムスヒは 宇宙で2番に成り立った造化三神の一柱で「宇宙そのもの」といった位置づけの神様です。宇宙そのもの」が、子供を生んだり、争いや暗殺にまで積極的に加担することには、正直違和感を感じます。
……しかもこの神様そもそも姿形がないはずです。矢を投げるのはちょっと……
 
 

〈権力を求めないアマテラスと天皇家〉

高天の原(たかまのはら)は合議制ですが、 策の立案はほとんどがオモイカネで、アマテラスはそれを黙って採用するのみ、といった様子で描かれています。 日本の神々は「権威のアマテラス」と、「政治の実権のオモイカネ」の住み分けがはっきりしています。 これが地上においても、「権威の天皇」と「各時代の権力者」、という構図が明確になっていました。 この権力を求めないアマテラスのあり方が、天皇家のあり方を方向づけていたのかもしれませんね。
 
しかしここでは失策が続きます。
そもそもオオクニヌシが 苦労して作り上げた国(日本)を、 ただでよこせという交渉です。 一般論として、相当な武力による威圧があっても難しいでしょう。有効な策を見い出せない難しい交渉だった ことが伺えます。
 
 
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建御雷神と大国主の国譲り

出典:ウィキペディア(島根県出雲市大社町稲佐の浜(いなさのはま)の弁天島)
 
ここからは舞台が葦原中国(地上)になります。画像はタケミカヅチが剣先にあぐらをかいてオオクニヌシに迫ったとされる場所。
 
登場する神様
アマテラス(高天の原を統治する太陽神)
オモイカネ(知恵の神、タカミムスヒの子)
タケミカヅチ(カグツチの血液から生まれた武闘派の武神、中臣氏、藤原氏の祖)
アメノトリフネ(イザナギの子、鳥と船の神)
オオクニヌシ(葦原中国の国作りを完成させた神様)
コトシロヌシ(オオクニヌシの子)
タケミナカタ(オオクニヌシの子)
 
 
失策を重ねたアマテラスは、 オモイカネの提案により、武勇に優れた建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ) を葦原中国へ派遣します。
 
 
2柱の神は出雲の稲佐浜(↑いなさのはま)に降り立ち、タケミカヅチは十拳剣を逆さまに海に刺して、剣先にあぐらを組んで座り、オオクニヌシに迫りました。
(少し分かりづらい表現ですが、 圧倒的な武力による威嚇と、当事者の決死の覚悟があった交渉だったことが伺えると思います。)
 
 
タケミカヅチ「 我々はアマテラスオオミカミタカミムスヒノカミ(別天神の偉い神様)の使いの者である。汝がうしはける(領有する)葦原中国(日本)は、天照大御神の知らす(治める)国である。 そろそろこの葦原中国の統治を天つ国の神に任せるべきではないのか?」
(上で解説した古事記の理屈です。)
 
 
オオクニヌシ「 私には答えられない 。次にこの領地を継ぐべき息子たちに話をつけてくれ」
(オオクニヌシ側から見ると、自分が完成させた国を、無条件でよこせという交渉になるのでしょう。簡単に譲る気もないようです。)
 
 
オオクニヌシは一旦保留します。
 
 
タケミカヅチは アメノトリフネを派遣しコトシロヌシを 呼び寄せて国譲りを 迫りました。
 
 
コトシロヌシは応えます。「 承知しました。この国は天津神の御子に譲りましょう。」
 
 
コトシロヌシは 承諾しました。
(あっさりと国譲りを受け入れたコトシロヌシの娘は、後に初代神武天皇の后となっています。 単純な一方的征服でもなかったのでしょう。)
 
 
 
続けてタケミカヅチがオオクニヌシに問います。「 他に意見を言う子はいるのか?」
 
 
オオクニヌシが答えます。「 タケミナカタがいます。これ以外に意見を言う子はいません。」
 
 
タケミナカタは千引の岩(大きな岩)を持ってきて言いました。「  私の国でこそこそ何を言うか !それならば力比べをしよう!」
(相当な腕力の持ち主で武闘派です)
 
 
タケミナカタがタケミカヅチの手を取ると、タケミカヅチ手が氷の剣となって、タケミナカタを襲い退かせました。
(高天の原(大和)と 葦原中国(出雲)との間で、それなりの戦いがあったと解釈していいのかもしれません。)
 
 
次にタケミカヅチがタケミナカタの手をとると、 若い葦をつかむように握りつぶし、放り投げ、 タケミナカタは逃げ出しました。
(多くの血が流れたのでしょう…「国譲り」という優しい表現の結末ではなかったのかもしれませんね……)
 
 
タケミカヅチはタケミナカタを長野県の諏訪湖まで追い詰め降参させました。
 
 

〈タケミカヅチって何者?〉

タケミカヅチはイザナギがヒノカグツチを切った時に 飛び散った血液から生まれた神様で、武神、雷神とされています。
 
ここまで読んでみると、葦原中国の国譲りは ほぼタケミカヅチ一人の武力で行なっているようにも思えますが、日本書紀ではフツヌシとタケミカヅチの共同作業になっています。
 実はタケミカヅチは 編纂当時最も力を持っていた、中臣氏、 藤原氏の祖神(祖先)とされています。 こういった書物は 時の権力者の意向や忖度といった「力学」な働きがちです。大げさに書かれてある可能性もあることを、頭の片隅に置いておいた方がいいのかもしれません。
 
なお、 「佐藤さん加藤さん斉藤さん」といったように名字に「藤」の字が入る人が 藤原氏の末裔とされていますが、 「藤原さんや伊東さん」は 藤原氏の末裔ではないみたいです。
 
 
タケミナカタは言いました。「 私を殺さないでください。 オオクニヌシの命令にもコトシロヌシの命令にもそのきません。 葦原中国(日本)は 天つ神の御子に献上します。」
 (高天の原=大和の勝利だったようです。 そして敗者は残酷に書かれるものです。)
 
 
出雲に帰ったタケミカヅチが改めてオオクニヌシに問いました。「コトシロヌシ 、タケミナカタ共に天津神の命に従うことを認めた。汝はどうする?」
(この場面は、最後は「話し合い」で決着した。 戦争ではなく「国譲り」だったんだ。……と古事記は 主張したいのだと思います。)
 
 
オオクニヌシは答えました。「 子供達の言う通りにしましょう この葦原中国を献上します。 その代わり 高天の原に届くほどの壮大な神殿を建設し、私を祀ることをお許しください。 それならば私は遠い黄泉の国へ引き下がりましょう。」 
(息子たちを負かされたオオクニヌシ(出雲)の無念さを感じます。この会話を最後にオオクニヌシは 「黄泉の国」の住人となったようです。)
 
 
こうしてオオクニヌシの言ったとおり、出雲に神殿が建てられました
出雲神殿の建設はスサノオとの約束だからということになると思いますが、 高天の原(大和)が出雲に対して それなりに譲歩したことを表しているのかもしれません。)
 
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〈出雲の「国譲り」は事実?〉

出雲地方には、紀元前1世紀から紀元3世紀にかけての大規模な弥生遺跡があり、大量の銅剣とヤマトにはない銅鐸が出土していることから、ヤマトとは異なる信仰を持つ、かなり大きな勢力があった事が推定されます。
 
中国の魏志倭人伝によると、 2世紀後半の倭国において大きな内乱が起こり、卑弥呼の統治により収まったとあります。倭国大乱は「大和」対「出雲」の戦争で、「国譲り」といった優しいものではなく、結局「大和」が「出雲」を力でねじ伏せたのでは、とする説もあります。ですが古事記には、「出雲」が国を譲るまでの過程を細かく記し、 その後の「出雲」への配慮も続いています。
 
本当は何らかの争いがあり、「出雲側」は結果的に破れた。しかし最後は話し合いと妥協で決着し、ギリギリのところで融和を図った。と考えていいのかもしれません。 少なくとも、 最後は武力ではなく平和的な交渉で終わったんだ、都合が悪かろうが敗れていったものたちの歴史も語り継ぎたい、そんな思いが古事記からはうかがえます。 (勝者の立場から見ると出雲神話は語りつぐ必要のない歴史です。)
 
対外的に自国の正当性を主張することが目的の日本書紀には、オオクニヌシの物語はほとんど語られません。 日本書紀は敗者の歴史には興味などなく、都合の悪い歴史はなかったことにしたいのでしょう。 出雲神話」は、受け継いだ都合の悪い歴史を、なんとか後世に語り継ごうと、当時の語り部(かたりべ)が知恵を搾った結果生まれた、ギリギリの産物なのかもしれません(それでもかなり削られたと見られています) 。解読の難しい「倭の国のポーネグリフ」と言えるのかもしれませんね。
 
 

〈出雲の大神殿は本当にあったらしいらしい〉

古事記によると出雲の神殿は、スサノオとの別れ際の約束に基づき、オオクニヌシが「国譲り」の際に要求したものとされています。現在の 出雲大社の高さは24メートルですが 、かつては48メートルもの高さがあったとされていました。 長い間 その信憑性 が疑問視されていましたが、 2000年の発掘調査により、 本当に出雲に巨大な神殿(写真出典:ウィキペディア)が存在したことが判明しました。 オオクニヌシの約束の大神殿の発見により、「国譲り」は単なる神話ではなく、最後は本当に「国譲り」で決着したのでは? 日本は話し合いで統一がなされたのでは ?と神話の信憑性が高まっています。神話はどこまで事実なのでしょうか。夢が膨らみますよね。
 
一般的に新しい宗教が古い宗教を駆逐した後は、ただの遺跡になるのが世界の常識です。出雲は神話に記録が残る負けた側の神社でありながら、信仰も途絶えていません。世界的な奇跡です。
詳細はわかりませんが、出雲神殿が現存していること自体が、日本が平和的に統一されたことの証なのかもしれません。
日本ってステキな国ですよね^^
 
 
次回第8回は オオクニヌシに譲らせた 葦原中国に対し、 高天の原から統治者としてアマテラスの子孫を派遣するというお話になります。 しかしその人事においても、どうやら時の権力者の「力学」が働いているようです …
ニニギノミコトの天孫降臨と日向三代
 
 
 
 
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