「吾輩は猫である」は、夏目漱石のデビュー作の長編小説。1905年1月に雑誌「ホトトギス」に発表された作品で、中学校の英語教師・珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)に飼われる名前のない猫「吾輩」の視点から、周囲の人間達を風刺的に描いた文学になります。
この「吾輩は猫である」について、あらすじ・内容・解説・感想を書いてみました。
目次
まずは簡単な内容と解説!
「吾輩は猫である」は1905年1月の旧帝大教授時代に、高浜虚子に勧められて雑誌「ホトトギス」に発表した小説になります。これが漱石の文壇デビュー作となるわけですが、当初は一回のみの読み切りの作品でした。ところがこれが思いの他好評だったため、虚子の勧めで翌年8月まで連載を続け、全11話からなる長編小説となります。こういった過程のもとに成立しているため、この小説にはいわゆる話の本筋(ストーリー)というものが弱く、脇道の雑談や小ネタ・小事件ばかりが目立つのが特徴です。要するに「坊ちゃん」のように結末に向かってストーリーが進展していくという一般的な長編小説の形式になっていません。実は18世紀の英国の小説「トリストラム・シャンディーの生涯と意見」(1759年イギリス人作家ローレンス・スターン著)がこのような形式をとっており、漱石がこの小説を参考にしたとみられています。
この「吾輩は猫である」は、基本的には中学校の英語教師・珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)に飼われる名前のない猫「吾輩」が、珍野家周辺に集う人達の日常を観察や考察したりするだけのお話なのですが、核となるストーリーも一応存在します。その中心となるお話が「寒月と金田富子の結婚問題と、苦沙弥一門と実業家金田の対立」。
一応こういった話が緩いメインストーリーとして存在しているのですが、横道にそれまくってほとんど進みません。そして脇道である苦沙弥や迷亭たちの雑談を理解するには漱石並の教養が必要で、吾輩の考察も漱石クラス。100年前の話題や今は使わない表現も多いため、ついていくのは相当大変だと思ってください。
この猫を主人公とするお話は、それまでの日本文学にはない新しい発想の小説で大変な好評となりましたが、どうやら漱石は海外の「牡猫ムルの人生観」という文学作品から着想を得ているようです。これはドイツ人作家 E・T・A・ホフマンが1819年に発表した作品で、人語を理解する猫ムルの回想録と、架空の音楽家クライスラーの伝記をおり混ぜて構成した風刺的な小説とされています。
いずれにせよ留学経験もあり、海外の文学にも精通した漱石だからこそ描けた小説と言えるのかもしれません。そしてこの後漱石は、1907年に帝大教授を辞めて朝日新聞の職業小説家に転身し、1916年に亡くなるまで今でも読まれ続ける名作を次々と書き上げていくことになりますが、この「猫」の成功により職業作家を志したとも言われています。
まさに文豪漱石の出発点となった作品と言えますね。
登場人物!
名前のない猫でこの物語の主人公。1904年(明治37年)に生まれとすぐに誰かに拾われる。しかし直後に捨てられ、自力で苦沙弥(くしゃみ)の家にたどり着く。人の言葉を理解し、中学3年生に劣らない知能と考察力を持っているつもり、と自分では言っているが、多分大卒以上(漱石なみ)の知能がある。趣味は人間観察と考察で、隣の家に住む三毛子に恋をする。第11章(1905年の秋)で酔っ払って瓶に落ちて溺れて死ぬ。吾輩のモデルは1904年頃に漱石の家に迷い込んで住み着いた野良の黒猫とされている(1908年死亡)。
学校を卒業して9年目の英語教師(文明中学)で、書斎からほとんど出てこない。頑固で実業家よりも学者や教師を尊敬する。偏屈な性格でノイローゼ気味。苦沙弥の家に集う仲間たちからは慕われているが、実業家・金田からは嫌われている。教養は高いが読みもしない本を書い漁る癖がある。勤勉家のふりをしているが、すぐに眠くなりよだれを本の上垂らす。胃が弱く皮膚が淡黄色。漱石自身がモデルとされている。家には妻と3人の娘の他、下女がいる。
珍野苦沙弥の奥さん。難しい話は苦手。脳天に大きなハゲがある。
珍野苦沙弥の長女で6つか7つ。言葉の間違いが多い。幼稚園の生徒。
珍野苦沙弥の次女で5歳。幼稚園の生徒。
珍野苦沙弥の三女で3歳。顔が横に長い。
珍野家の下女(雑事などを任せるために雇った女中のこと)で名前は清。ふぐ提灯のように膨れた顔。吾輩を嫌っている。
苦沙弥の友人で勝手に苦沙弥の家に上がり込む雑談仲間。金縁眼鏡の美学者。趣味はほら話で他人をけしかけること。苦沙弥の仲間たちは雑談が好きですが、全員学歴があって教養の高い人達だと思ってください。
苦沙弥の旧門下生の理学士で苦沙弥を慕って遊びに来る。高校生時代からバイオリンをたしなみ、富子に演奏会で一目惚れをする。大学院において地球の磁気の研究をやっている。博士になることが富子との結婚の条件となっており、博士論文を書き始めるが、最後は別の女性と結婚して、博士論文も止めようとする。
文学美術好きの新体詩人で苦沙弥の雑談仲間。
雄の黒猫で、吾輩の倍程の体格を持ち腕力に優れるが、教養の無い乱暴者のため交際相手は少ない。吾輩は黒を恐れているが、子分になる気もない。魚屋に天秤棒で打たれて足がびっこになる。
二絃琴(にげんぎん)のお師匠さんの家に住んでいる美貌家の雌猫。教師の家にいるため吾輩を先生と呼び吾輩と仲良くなる。三毛子はお師匠さんの家で大事に扱われていたが、病気になりやがて亡くなる(第2話)。
向う横丁の西洋館に住む実業家で苦沙弥と仲が悪い。顔全体が低く頭は禿げている。背も低い。苦沙弥に対して偵察や嫌がらせを計画する。
金田の妻で年齢は40代。大きな鍵鼻を持っているため吾輩に鼻子と名付けられる。娘の富子と寒月の縁談について珍野家に相談に来るが、高慢で苦沙弥たちを見下したため苦沙弥に嫌われている。寒月が博士にならなければ富子と結婚させないと言う。
わがままで気性が激しい。金田夫妻の娘で寒月に一目惚れする。しかし第11章で寒月が別の女性と結婚していたことが発覚し、多々良三平と結婚することになる。
苦沙弥と迷亭の同級生で工学士。九州の炭鉱にいたが東京本社に転勤になる。月給は250円(かなり高い)。金田邸に出入りし、金田の差し金で苦沙弥の様子を探りに来る。
苦沙弥の教え子で珍野家と仲がいい。法科大学卒業の法学士で、ある会社の鉱山部に雇われている。出身は備前国唐津。月給30円で貯蓄は50円。珍野家への土産に山の芋を持ってくるが、泥棒に盗まれる。泥棒を前に役立たない吾輩を、煮て食べようとする。第11章で、突然金田富子と結婚することになる。
苦沙弥の古い友人の哲学者で雑談仲間。顔が長くヤギのようなひげを生やした40前後の男。第8章で苦沙弥に消極的な修養で安心を得ろと説教する。
静岡に住む迷亭の叔父。赤十字総会出席のために上京し、迷亭と共に苦沙弥宅を訪れる。未だにちょん髷をしている旧幕時代の権化のような老人。
2年乙組の苦沙弥の学校の生徒で年は17,8歳。団子っ鼻の頭の大きいいがぐり頭。金田の娘(富子)に恋文を送り、退校にならないかと心配して苦沙弥に相談に来る。(第10章)
苦沙弥のめいで、17,8歳の女学生。寒月に恋している。金田富美子に恋文を送り苦沙弥に相談に来た武右衛門をこっそり覗いて、苦沙弥の奥さんとクスクス笑う。(第10章)
あらすじ!
ここでは章ごとのあらすじをご紹介していきますが、そのあらすじに入る前に少し時系列のお話をしたいと思います。詳しい日時を特定できる記載はほとんどありませんが、第1章の吾輩の誕生から苦沙弥の家に住み始めるお話が1904年(明治37年)。第2章が1905年の正月で、そこからゆっくり季節が進み、第11章の我輩が死ぬ時が1905年の秋頃になるようです。日露戦争(1904年2月6日から1905年9月5日まで)の進行とちょうど重なる時期だったということもあり、小ネタや考察に日露戦争ネタが多いのも特徴です。
1 吾輩、苦沙弥の家にたどり着く
吾輩は猫である。名前はまだない(結局最後まで名前はありません)。黄色を含む淡灰色に漆のような斑入の皮膚を持っている。どこで生まれたか見当がつかない。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。書生に親兄弟ともに拾われるが、ドライブ中に吾輩だけが笹原に捨てられる。吾輩はタバコというものを知った。生きるために食べ物を求めて這っていき、珍野苦沙弥の家に潜り込む。下女(げじょ・雑事などを任せるために雇った女中のこと)のおさんに何度もつまみ出されるが、最終的に主人(苦沙弥)に許されこの家に住むことに決めた。
主人の職業は英語教師で書斎からほとんど出てこない。彼は勤勉家のふりをしているが、実際はそうではない。書物を2,3ページ読むとすぐに眠くなり、よだれを本の上垂らす。胃が弱く皮膚が淡黄色で弾力がない。
吾輩は主人の傍にいることが多い。主人が新聞を読むときは必ず彼の膝の上に乗る。この家には3人の娘がいるが、特に小さい子は夜中に近づくと大声で泣き出したちが悪い。
吾輩の主人は何にでもよく手を出したがる。俳句や新体詩、弓、謡、ヴァイオリン……。しかしどれもものになっていない。我輩が住み始めてからひと月ばかり立ったころ、美学者・迷亭(めいてい)にそそのかされて絵にはまり吾輩の写生を始めた。しかし我輩があくびをして用を足すために立ち去ると、馬鹿野郎と怒鳴られて終わる。
家の裏の茶園で車屋の黒(雄の黒猫)と知り合う。吾輩の倍程の体格を持ち腕力に優れるが、教養の無い乱暴者のため交際相手は少ない。吾輩は黒を恐れているが、子分になる気もない(※あくまで猫同士の付き合いのため、動物としてのメンツやプライドがあるみたいです)。ところがその黒は、魚屋に天秤棒で打たれて足がびっこになった。
吾輩はネズミを一匹も取ったことがない。
2 三毛子が亡くなり吾輩失恋する
年が明けて1905年(明治38年)の正月。日露戦争の旅順要塞陥落後。吾輩が有名になったため、主人宛に「吾輩は猫である」と記載された絵葉書が旧門下生などから届き、主人の吾輩を見る目が少し変わる。
家のお雑煮の餅を盗み食いしようとして、餅が取れなくなって踊りまわっているところを家族に発見され大笑いされる。
苦沙弥宅に、迷亭、寒月、東風などがやってきていろんな話をするが、でたらめな話やいいかげんな話が多い。人の言葉を理解できれる吾輩は、それを黙って聞いている。
二絃琴(にげんぎん)のお師匠さんの家には、美しく器量の良い雌猫の三毛子が住んでいる。教師の家にいるため吾輩を先生と呼び、吾輩と仲良くなる。ところが間もなくして三毛子は病気になり、1月10日に三毛子が亡くなったことを知る。三毛子はお師匠さんの家で大事に扱われており、お坊さんにお経まで唱えてもらっているが、この家の人は三毛子が死んだのは吾輩が無暗に誘い出したからだと思っている。こうして吾輩は失恋した。
3 苦沙弥一門と金田家の対立
吾輩宛に岡山の吉備だんごが届くが、主人に食べられる。主人は亡くなった友人の墓銘を考えるが、筆が進まず原稿用紙に自分の鼻毛を一本一本丁寧に植え付け始める。(※漱石も行き詰まるったときは、きっと鼻毛の田植えをやっていたのでしょうね。)
苦沙弥宅に、迷亭、寒月らがやって来てウンチクや無駄話をし、我輩はそれを黙って聞き流す。
そんなある日、苦沙弥宅に大きな鍵鼻を持つ金田鼻子(はなこ)が現れる。鼻子の娘の富子(とみこ)と寒月の縁談の相談に来たのだが、寒月が博士にならなければ富子をやるわけにはいかないと言い張る。鼻子の態度はぞんざいで苦沙弥たちを見下しており、苦沙弥や迷亭も鼻子が気に食わない。
(※寒月と富子の結婚問題と、苦沙弥と金田の対立が、一応この小説のメインストーリーになっています)
この一連のやり取りを黙って聞いていた吾輩は、興味をそそられ向う横丁の金田邸に探りに潜入する。すると散々苦沙弥の悪口で盛り上がった上に、金田夫妻は苦沙弥への嫌がらせを計画している。娘の富子はわがままで気性が激しい。
そして苦沙弥宅への嫌がらせが始まる。垣根のそばから3,4人の罵り声が聞こえる。見てきたことを苦沙弥に報告する術はないが、主人も吾輩も寒月が金田富子を貰うことに反対である
4 鈴木藤十郎が金田の遣いで苦沙弥の家に来る
寒月君への義俠心を起こした吾輩は、その後も金田邸へ忍び込み探偵ごっこを行う。決して食べ物をネコババするためではない。
金田邸では、金田夫妻が鈴木藤十郎(とうじゅうろう)に苦沙弥の陰口を叩き、藤十郎も相槌を打っている。鈴木藤十郎は苦沙弥(くしゃみ)と迷亭(めいてい)の同級生で、最近東京に転勤になって金田の家に出入りしている。金田が藤十郎に依頼したのは次のようなこと。「寒月が苦沙弥を慕い言うことを聞いてしまう。そして苦沙弥は寒月に金田の娘(富子)を貰ってはならないと入れ知恵する。そこで学生時代の同級生の藤十郎が苦沙弥の元へ行き、苦沙弥に便宜を図って利害を諭してくれ(つまり娘の結婚に反対させるな)。それから寒月の学才(博士になれるのか)について確かめてきてくれ。」(※吾輩が金田邸で目撃した話です)
そしてその日のうちに苦沙弥の家に藤十郎が訪れる(※藤十郎は金田のスパイです)。苦沙弥は当人同士が結婚する気があるのかきちんと確かめる必要があると主張するが、藤十郎は確かめてないのに娘には気があると言う。藤十郎が寒月は博士になれそうか確かめていと、迷亭が突然現れ、寒月が博士論文を書き始めたという珍報をもたらす。苦沙弥を説き落としかかっていた藤十郎は、弁舌巧みな迷亭にこの話を壊されたくないため、この後、藤十郎、苦沙弥、迷亭の不思議なやり取りが続く。そして吾輩はその絶妙なやり取りを眺めて楽しんでいる。
5 泥棒に入られて、吾輩はネズミ捕りに失敗する
藤十郎が来たその晩(1905年(明治38年)3月の晩)、珍野家に泥棒が入る(※実際に漱石が泥棒に入られた経験を元に書いているそうです)。吾輩以外全員寝静まっている。吾輩は主人を起こそうとするも起きないので身を隠した。泥棒は背のすらりとした26,7歳の寒月君によく似た顔の男だった。泥棒が寝室まで入り込み、奥さんの枕元に置いてあった山の芋の入った箱や帯、羽織、その他の雑物を盗んでいった。結局吾輩は一部始終を目撃するだけで何もせず、その後寝た。
翌朝吾輩が目覚めると、警察が来て珍野夫妻が事情聴取をされている。山の芋は多々良三平(たたらさんぺい)が持ってきたものだった。三平は苦沙弥の教え子の法学士で珍野家と仲がいい。三平が来て泥棒に入られたことを知ると、ねずみも取らず泥棒が来ても役立たない吾輩に腹を立て、煮て食べると言い出す。
立場を悪くした吾輩は、名誉挽回のためにその晩ネズミを取って大手柄を上げようと決心する。自らを日露戦争の英雄東郷平八郎に重ねて計画を立てるが失敗する。
6 苦沙弥、迷亭、寒月、東風で恋愛話
ある暑い日、苦沙弥(くしゃみ)の家に迷亭が勝手に上がり込み、いつものように雑談を始めて蕎麦を食べるが、わさびを入れすぎて涙が出る。そこに寒月が現れ、博士論文と金田富子との結婚が話題になる。なんでも寒月は「カエルの目玉の電動作用に対する紫外線の影響」というテーマの博士論文を書き始めたそうだが、その実験に使うためのガラス玉の研磨に毎日朝から晩まで時間を費やし、あと10年から20年かかると言う(※要するに現実的な博士論文ではありません。漱石の悪ふざけです。それから博士になることが富子との結婚の条件となっています)。
そして話題はみんなの恋愛話へと移る。迷亭の話は、旅先で一目惚れした美しい娘が実はハゲていて鬘だった、などなど…。さらにそこに東風も現れ、苦沙弥、迷亭、寒月、東風の面子で盛り上がる。我輩はそれを見て楽しんでいる。
7 我輩銭湯を覗きに行く
季節は夏から秋。吾輩は運動を始めることにした。なんでも20世紀初頭においては、運動をしないものが下等とみなされているそうだ。まず庭でカマキリ狩り。セミ捕り。木登りと松滑り。そして庭の竹垣の上を落ちないように一周歩く垣巡り。しかし吾輩はカラスにバカにされ、さらにノミにとりつかれて苦しむ。(※久しぶりに本来の猫らしい描写です)
主人の苦沙弥が時々銭湯に出かけて晴れやかになって帰ってくるのを思い出し、我輩にも効き目があるかもしれないと思って銭湯を覗きに行くことにした。
吾輩は大勢の人間が素っ裸で湯に浸かる銭湯の観察を始める。すると主人の苦沙弥が、突然若い生意気な書生を大声で怒鳴りつけ口喧嘩を始める。苦沙弥は頑固者だ。(※結局吾輩は銭湯には入らない)
8 苦沙弥邸に野球のボールが打ち込まれる
苦沙弥の家の垣の外には5,6間の空地があって、その端に檜が植わっている。その空地の向こう側には落雲館という中学校がある。その学校の行儀の悪い生徒たちが、その空き地に入り込んで、むだ話をし、弁当を食べ、歌を歌いだす。これを迷惑に思った苦沙弥は、度々書斎から飛び出してこれを注意し、落雲館の校長にも訴えるが、収まることはなく、学生たちのいたずらと苦沙弥のいたちごっこは続いた。
そんなある日の午後、落雲館の学生たちはダムダム弾と称する野球のボールを苦沙弥邸に打ち込んできた。吾輩は学生たちを敵軍と称して苦沙弥との戦争を解説する。敵軍はベースボールの練習と称して次々と苦沙弥邸にダムダム弾の砲撃を込んできた。ボールを回収するために無断で庭に入ってきた学生たちと口論となり、倫理の先生に以後無断で侵入しないことを約束させる。
その翌日吾輩は、金田の旦那と藤十郎の立ち話を目撃する。金田は傲慢で実業家に屈さない苦沙弥が嫌いで、色々と画策しているらしい。弱った苦沙弥の様子を探るため、藤十郎に探りに行かせる。
吾輩が家に帰ると藤十郎が来ており苦沙弥と会話しているが、藤十郎は完全に金田のスパイ。この日だけで裏の学生が17回もボールを取りに来て苦沙弥は参っていた(※苦沙弥はボールを取りに無断で庭に入らないことを約束させたのであって、ボールを打ち込まないことを約束させたわけではない。)。藤十郎は金持ちには逆らうなとほのめかす。(※どうやらこのボール打ち込み事件などの学生の嫌がらせも、裏で金田が糸を引いているようです)
顔が長くヤギのようなひげを生やした古い友人・八木独仙(やぎどくせん)が現れ、苦沙弥に消極的な修養で安心を得ろと説教する。
9 迷亭が叔父を連れてきて、泥棒が捕まる
野球ボール事件から7日目。苦沙弥の痘痕面(あばたづら)について吾輩があれこれ語る。苦沙弥の痘痕は頭にまでできているため、彼は髪を伸ばして隠している。その苦沙弥が書斎で家にひとつしかない鏡を熱心に観察して「汚い顔だ」と嘆いている。
迷亭が苦沙弥の家に、静岡に住む叔父・牧山(まきやま)を連れてくる。いまだにちょん髷をした旧幕時代の権化のような老人で、なんでも赤十字総会出席のために上京したらしい。苦沙弥に精神の修養を主張する。
突然警視庁巡査が、25,6歳の背の高い男を連れてくる。どうやら春に苦沙弥宅に泥棒に入った男を逮捕したようだ。山の芋以外の盗まれた物が大概戻ったようなので、翌日9時までに日本堤分署(遊郭吉原のあるところ)まで取りに来るように告げられる。
10 富子への恋文事件
次の日の朝、珍しく3人の娘の朝の食卓の様子が語られる。上の二人は幼稚園生で下の子は3歳。苦沙弥は昨日巡査に言われたとおり、日本堤分署へ盗まれた物を取りに行く。
するとそこへ、苦沙弥のめいの雪江がやって来る。雪江は17,8歳の女学生。雪江と苦沙弥の奥さんの会話によると、この間金田富子に恋文を送ったものがいるらしい。そして雪江は寒月と富子の結婚に反対で寒月のことが好きらしい。
苦沙弥が盗難品を持って警察から帰ると、苦沙弥の学校の生徒・古井武右衛門(ふるいぶえもん)が珍野家にやって来る。彼は2年乙組の苦沙弥の監督の生徒で17,8歳。団子っ鼻の頭の大きいいがぐり頭。武右衛門の話によると、金田の娘(富子)が生意気で威張っているから、彼と友人2人で武右衛門の名前で富子に恋文を送ってからかおうとしたらしい。しかし後になって、バレたら退校になるのではないかと心配になって苦沙弥に相談に来たのだと言う。苦沙弥はそれを冷たくあしらい、奥さんと雪江はそれを覗いてクスクス笑っている。
そこに偶然寒月がやってくる。自分の婚約者(富子)を震源とする問題が語られているとも知らずに。武右衛門が帰り寒月に一部始終を話すが、寒月は特に気にすることもなく武右衛門に同情する。その後寒月と苦沙弥は上野に虎を見に行った。
11 吾輩溺れて死ぬ
1905年のある秋の日。苦沙弥の家に迷亭、独仙、寒月、東風が集まっている。迷亭と独仙が賭け囲碁をし、みんなはいつものように雑談。そして我輩はそれを眺めている。この日の主な話題はバイオリンや女性論など。
そんな中、寒月が突然爆弾発言をする。「珠磨きを止めて博士論文も止めようと思う。実は国に帰った時に結婚しており、すでに女房がいる。」一同が驚く中、さらに寒月は続ける。「そもそも金田の娘との結婚の約束なんて存在しない。向こうが勝手に言いふらしてるだけだ。だからあえて断る必要もない。黙っていればいいのです。」
さらに雑談で盛り上がる中、突然多々良三平がビールを持って登場する。そして三平も爆弾発言。「寒月さんが博士にならないから、私が金田の令嬢をもらうことにしました。先方で是非もらってくれと言うから、とうとうもらうことに決めました。」そして三平の結婚の前祝いと称して、持ってきたビールで宴会が始まる。
夜も更けてみんなが次々と帰ると、コップ二つにビールが半分ほど残っている。吾輩はなんだか心が晴れない。三平が真っ赤になったのを見て試したくなった吾輩は、ぴちゃぴちゃ舐め始め二杯とも飲んでしまった。すると次第に身体が温かくなり、「猫じゃ猫じゃ」(江戸・明治時代に流行したオッチョコチョイ節のこと)が踊りたくなった。外に出たくなり散歩を始めると、酔っ払って眠くなった吾輩は、大きな瓶の中にぼちゃんと落ちた。必死にもがいたが、どうすることもできず吾輩は溺れて死んだ。(※吾輩はこの小説のメインストーリーである、金田の娘の結婚問題の完結祝いのビールで死んだことになります。)
オッチョコチョイ節(猫じゃ猫じゃ)
感想!
「吾輩は猫である」は、猫である吾輩が人間を観察・考察するというお話。
すでにご紹介したように、これはドイツ人作家 E・T・A・ホフマンが1819年に発表した、人語を理解する猫ムルの回想録「牡猫ムルの人生観」という文学作品から着想を得て書き上げたと言われています。
人の言葉を理解できて人間並み(漱石クラス)に考察もし、普通の猫のふりをして偵察もできる(ただし人の言葉を話せるわけではないので、我輩の考えは登場人物に伝えることができない。)。しかし動物本来の本能も持っており、基本的な行動はあくまで猫のまま。近所の猫とのプライドや面子をかけたやり取りもあれば恋もする。力の弱いカマキリをいたぶることもあれば、絶対に手の届かないところに逃げられるカラスにばかにされることもある。漱石は猫の中に、本来ありえない人間性と本来の動物性を混在させて主人公「吾輩」を描いています。
現在のアニメや小説では、人間のように考えたり動いたりする動物が当たり前に描かれますが、漱石以前の日本にこのような文学はありませんでした。彼が日本におけるその先駆者だったのですね。
この小説は、舞台化もされ「吾輩はネズミである」「吾輩は主婦である」等の多くのパロディも生まれるなど、後の日本の芸術作品に絶大な影響を与えました。
逆に言うと、後の擬人的な動物が登場するするような物語の多くは、直接にせよ間接にせよこの作品の影響を受けていた可能性があるのかもしれません。
「吾輩は猫である」は、「擬人的動物文学の記念碑的作品」と言えるのかもしれませんね。
しかし一方でこの小説は、クライマックスに向かってストーリーが進んでいくという類の物語ではありません。「寒月と金田富子の結婚問題と、苦沙弥一門と実業家金田の対立」といったゆるいメインストーリーは確かに存在し、「その完結と共に主人公吾輩がその祝いの酒に酔って溺れ死ぬ」、という結末を向かえるのですが、その他の雑談や考察・小ネタが圧倒的に多く、とにかく横道だらけです。
雑談や考察は確かに苦沙弥一門の人間関係がよく現れていて読みごたえがあるのですが、彼らの多くは教養が高いうえに話題は100年以上昔の話です。当時の時事ネタを扱われてもピンとこないうえに、雑談や考察は漱石並みの教養がないとついていけません。
僕には分からないところだらけで、読んでいて正直疲れました。はっきり言って、現代人が娯楽として読む小説としてはちょっと厳しいと感じます。
出典:ウィキペディア
ですがそんな中でも、あえて注目してみたいと思ったところが、小ネタや雑談から伺える漱石の人間性。
個人的に特に好きな小ネタの一つが、第三話の「苦沙弥が筆が進まず原稿用紙に自分の鼻毛を一本一本丁寧に植え付け始める」ところ。この「鼻毛の田植え」、漱石絶対自分でもやってたよね。というかやってなきゃ書けないと思う。
それから苦沙弥の仲間たちは全員インテリで雑談も古典ネタやカタカナネタを使った難解なものばかりなのですが、これは仲良し同士の言葉遊びであっていわゆるインテリの嫌味を感じません。
漱石は東京帝国大学の英文科を特待を受けて卒業するほどのインテリで英国留学を経験したエリート、そして皆さんご存知の通りイケメン。にも関わらず、漱石の文学には高学歴特有のイヤミみたいなものが見当たらない。逆に滑稽で庶民的なんですよね。この辺りに「国民的作家」とまで呼ばれ、100年以上にわたって日本中で愛され続けている理由の一つが垣間見えるような気がします。僕も漱石のこういった庶民的なところが大好きです。
「吾輩は猫である」に登場する小ネタや雑談には、漱石の実体験に基づくものが多く含まれていると思われます。もしもあなたがこの本を読む機会があったならば、是非探してみてください。彼の人間性が垣間見えて、あなたもきっと漱石が好きになると思いますよ。
それでは。