【5分でセロ弾きのゴーシュ】あらすじ・内容・解説・要約・感想・登場人物!【宮沢賢治】

セロ弾きのゴーシュ」は、1934年(賢治が亡くなった翌年)に発表された宮沢賢治の童話。活動写真館(映画館)の楽団に勤める未熟なチェリスト・ゴーシュが、動物たちとの交流を通じて演奏技術を向上させていき、音楽会のアンコールで大絶賛されるという物語。文庫本で20ページ程の短いお話になります。
この「セロ弾きのゴーシュ」について、あらすじ・内容・解説・要約・感想を書いてみました。

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「セロ弾きのゴーシュ」が死後出版の理由!

(※ここは興味ある方だけで結構です)

宮沢賢治(1896−1933年)といえば数多くの童話を発表したことで有名ですが、実は生前発表作は9つの作品からなる短編集「注文の多い料理店」(1924年)と詩集「春と修羅」(1924年)の2冊のみで、彼の作品の多くは死後出版になります。

もともと賢治は童話集を12冊ほど発表する予定だったようですが、その一冊目の童話集「注文の多い料理店」があまりにも売れず失敗に終わったため、作品だけ書き上げて出版自体を取りやめてしまっていました。

その間に賢治は、両側肺浸潤と診断されて病臥生活となり、1933年の9月に急性肺炎で容態が急変して亡くなってしまいます。

そして賢治が亡くなった後、彼の友人がそれらの作品を発見し、世の中に発表しました。

そのため彼の作品の多くは、死後出版ということになっています。

この「セロ弾きのゴーシュ」も生前未発表作の一つになりますが、この作品については死の数日前まで推敲が行われていたことが分かっており、実質的に賢治の最後の童話作品と考えられています。

彼が自分の死をかなり意識していた時期と考えられるため、その内容の解釈にも様々な憶測が飛び交う作品になっています。

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簡単な内容・要約と解説!

町の活動写真館の楽団「金星音楽団」は、10日後に行われる音楽会で「第六交響曲」を演奏するためみんなで練習をしているが、セロ(チェロ)を担当するゴーシュは一番下手で楽長に頻繁に叱られている。そんなゴーシュが家で練習をしていると、毎晩のようにいろんな動物が現れゴーシュに演奏を依頼する。怒りや不満をぶつけながらも動物たちと一緒に演奏をしているうちに、いろんなことを学びいろんなことに気付かされる。音楽会当日、みんなで「第六交響曲」を無事に演奏し終わると、ゴーシュが急遽アンコールを任されることになる。そして動物たちとの経験を思い出しながら「印度(インド)の虎狩り」を演奏し、これがみんなから大絶賛される。

「セロ弾きのゴーシュ」の内容は概ねこのようなお話になります。最初の場面でゴーシュは楽長に散々ダメ出しをされますが、具体的には「音が遅れる」「糸(音程)が合っていない」「感情がない」といった点を指摘されます。これが毎晩現れる動物たちとの演奏を通じて、意図せず改善されていくことになります。

まず最初の晩に現れる猫は、トロイメライを依頼しますが、怒ったゴーシュが嫌がらせで「印度(インド)の虎狩り」を弾き、これが演奏会当日のアンコールの練習となります。
2日目の晩に現れるかっこうは怒って追い返してしまいますが、自分の「糸(音程)が合っていない」ことを気付かされます。
3日目の晩に現れるタヌキとの演奏では、「音が遅れる」ことに気づかされます。
4日目の晩に現れる野ねずみには、ゴーシュの演奏が人知れず動物たちの役に立っていることを知らされて自信を持ち、演奏会のアンコールで「感情豊かに」怒りを表現できるようになるようです。

そして音楽会終了後にゴーシュが急遽アンコールに指名されますが、これまで楽長に指摘されていた欠点を全て克服した「印度(インド)の虎狩り」を見事演奏しきり、全員から大絶賛される。という結末を迎えます。

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登場人物!

ゴーシュ
街の活動写真館の楽団「金星音楽団」のセロ(チェロ)を弾く係だが、仲間の中で一番下手であり、いつも楽長にいじめられている。なお、フランス語で「gauche(ゴーシュ)」は「左の」「不器用な」を意味する形容詞。
楽長
活動写真館の楽団「金星音楽団」の楽長。指導は厳しく叱責は容赦ない。音楽会のアンコールでゴーシュが聴衆を惹きつける演奏すると絶賛する。
三毛猫
最初の晩にゴーシュの家にやってきた動物。土産としてゴーシュの畑のトマトを持ってきたうえに、生意気な態度で「シューマンのトロメライ」をリクエストしたため、怒ったゴーシュに「印度の虎狩り」を演奏されてのたうち回る。ゴーシュに散々虐められて逃げ帰る。
かっこう
2日目の晩に、ドレミファを正確にやりたくてゴーシュに音楽を学びに来る。セロに合わせて「かっこう、かっこう」と鳴くが、鳥の方がうまくドレミファにはまっており、更に教えを諭すような態度をとったため、ゴーシュの怒りを買い、明け方に追い出される。
狸の子
3日目の晩に現れた動物。セロに合わせてセロの駒の下をポンポン叩く。ゴーシュが2番目の糸を引くときに遅れることを指摘し、ゴーシュも納得する。明け方に礼儀正しく挨拶をして帰って行った。
野ネズミの親子
4日目の晩に訪れた動物。青い栗の実を差し出し、子供にセロを聞かせて病気を治してほしいと礼儀正しくゴーシュに頼む。セロを演奏してもらって子供が元気になると、丁寧にお礼を言って帰る。
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あらすじと内容!

ここでは少し詳しめのあらすじを書いてみましたが、そのあらすじに入る前に少し時系列の話をさせて下さい。本編中に年代を特定できる記述はありませんが、おそらく賢治の生きた大正末期から昭和初期を想定していると思われます。物語冒頭の最初の場面が町の音楽会の約10日前。最初の動物である猫が現れるのは初日の晩。2番目の動物かっこうが現れるのが2日目の夜。3番目の動物たぬきが現れるのが3日目の夜。4番目の動物のネズミが現れるのが4日目の夜。そしてその6日後が演奏会。ということになっています。

 

1 楽団の落ちこぼれゴーシュ

ゴーシュは、街の活動写真館(※映画館のこと。当時の映画は無声映画だったため、楽団が演奏して音楽を担当した。)の楽団「金星音楽団」のセロ(※チェロのこと)を弾く係だが、仲間の中で一番下手で、いつも楽長にいじめられていた。

今度の町の音楽会で第六交響曲(※誰の第六交響曲か記載されていませんが、賢治はベートーベンの交響曲第六番「田園」が特にお気に入りだったそうです。)を演奏する予定だが、演奏までもうあと10日もない

今日もみんなで楽屋に集まって練習しているが、ことあるごとに楽長が演奏を止めて怒鳴りつける。「セロがおくれた(リズムが悪い)。やり直し。」「セロっ。糸(音程)が合わない。」「おいゴーシュくん。感情というものが出ないんだ。困るよ。」

ゴーシュは、みんなの練習が終わると一人涙をこぼし、始めから練習し直した。


ベートーベンの交響曲第六番「田園」

 

2 猫の依頼

ゴーシュは、町はずれの川端にある壊れた水車小屋に一人で住んでいた。彼は普段、午前は小屋の周りの小さな畑でトマトの枝などを切っており、昼過ぎになるといつも出かけていた。

その晩遅くゴーシュは家に帰ると、ものすごい顔つきになりながら何度もセロを弾き続けた。

すると夜中すぎ、誰かが突然扉を叩く。扉を押して入ってきたのは、今までに5,6ぺん見たことのある大きな三毛猫だった。

三毛猫が「土産です。食べてください。」とまだ青いトマトを差し出すと、ゴーシュは「それは俺の畑のトマトだ。誰がトマトを持って来いと言った。行ってしまえ。」と怒る。ゴーシュは昼間楽長にいじめられてむしゃくしゃしている。

三毛猫が「私は先生(ゴーシュ)の音楽を聞かないと眠れないんです。シューマンのトロイメライを弾いてごらんなさい。聞いてあげますから。」と偉そうに注文してくると、ゴーシュは「猫のくせに。生意気な。」と苛立ちながら「印度(インド)の虎狩り」という曲を嵐のような勢いで弾き始める。
(※音楽会当日のアンコールで、この「印度(インド)の虎狩り」を演奏して大絶賛を受けることになります。ここでの演奏が後に活きてきます。)

すると猫は、苦しがって跳ね上がって体を扉へとぶつける。それを見たゴーシュは、面白くなってますます勢いよくやりだした。しばらくしてゴーシュが扉を開けると、猫は風のように走り去っていった。そしてせいせいしたゴーシュはぐっすり眠った。

 

3 かっこうの依頼

次の晩(2日目)もゴーシュが夜遅くまで必死にセロ弾きの練習をしていると、誰かが屋根裏をコツコツと叩く音がする。すると天井の穴から灰色のかっこうが降りてきた。

かっこうは「音楽を教えてください。私はドレミファを正確にやりたいんです。」とゴーシュにお願いする。

面倒くさがりながらもゴーシュが「かっこう、かっこう、かっこう」とセロを弾くと、かっこうはたいへん喜んで「かっこう、かっこう、かっこう」と一生懸命身体を曲げて叫んだ。

しかししばらくするとかっこうは「あなたのはいいようだけど少し違うんです。」と上から目線をとる。教わりにきたくせに逆に教えを諭すのようなかっこうの態度に内心むしゃくしゃしていたゴーシュでしたが、何度も弾き続けているうちに鳥の方が本当のドレミファにはまっているような気がしてきた
(※楽長に「糸(音程)が合わない。」と指摘されましたが、このかっこうとの演奏で自らの音程の狂いを自覚し、この経験が音楽会に活きていくことになるようです。)

腹が立ったゴーシュはセロを止め「生意気な。もう出て行け。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」と言って、ドンと床を踏み鳴らす。びっくりしたかっこうは、窓をめがけて飛び立つもガラスにぶつかって落下する。ゴーシュが窓を開けると窓が壊れ、かっこうは窓から矢のように外へ飛び出していった。

夜は明けかかっており、ゴーシュはそのまま倒れるように部屋の隅に転がって眠ってしまった。

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4 狸の依頼

次の晩(3日目)もゴーシュが夜中過ぎまでセロを弾いていると、また扉をコツコツと叩くものがあり、一匹の狸の子が入ってきた。

今夜は何が来ても初めから追い払ってやろうと思っていたゴーシュは、「狸汁にして食ってやる。」と脅かすが、狸の子は「たぬき汁って僕知らない。お父さんがゴーシュさんはとてもいい人だから、小太鼓を習って来いって言ってた。愉快な馬車屋を弾いてください。」と言って背中から棒切れを2本と譜面を取り出す。

これを聞いたゴーシュは笑い出し、「変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。」と言って狸の顔をチラチラ見ながらセロを弾き始める。

すると狸の子は、セロの駒の下の所を棒でポンポン叩き始めた。しかもこれがなかなかうまい。

一曲弾き終わると、狸の子はしばらく考えてからこんなことを言う。「ゴーシュさんは2番目の糸を引くときは遅れるねえ。」

ゴーシュははっとした。確かに昨夜からそんな気がしていたのだ。そしてこの日もゴーシュは夜通し狸の子と演奏を続けた。
(※楽長に「セロがおくれた。」と指摘されましたが、狸に指摘されることで自分の楽器の特性と遅れるポイントを確認します。この経験が音楽会に活きていくことになるようです。)

東の空が明るくなると、狸の子は「どうもありがとう。」とお辞儀をして急いで外へ出ていった。ゴーシュも元気を取り戻すため、急いで寝床へ潜り込む。

 

5 野ねずみの依頼

次の晩(4日目)もゴーシュが夜通しセロを弾いて明け方近くになると、また誰かが扉をコツコツと叩く。

毎晩のことなのでゴーシュが「おはいり。」と言うと、扉の隙間から小さな子供を連れた野ねずみが入ってきた。そして青い栗の実を一粒出して、お辞儀をしてこんなことを言う。「ここらのものは、病気になるとみんな先生(ゴーシュ)のお家の床下に入って治すのでございます。うさぎのおばあさんも、狸のお父さんも、意地悪なミミズクまでも、先生のおかげで治してもらいました。先生この子のあんばいが悪くて死にそうでございますから、先生のお慈悲でセロを弾いて治してやってください。」

それを聞いたゴーシュは「よし。わかった。やってやろう。」と言って野ねずみの子をつまんでセロの孔から中へ入れ、「なんとかラプソディー」というものを弾いた。

ゴーシュが弾き終わると、セロの穴から出てきたねずみの子は、にわかに起き上がって走り出した。これを見たおっかさんのねずみは「良くなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」と十ばかり言った。
(※ねずみから、ゴーシュの演奏がひと人知れず動物たちを助けていることを知らされて、自信を持ったようです。楽長に「感情が出ないんだ。」と言われていましたが、この経験によって、音楽会当日自信をもって怒りを表現できるようになったようです。)

かわいそうに思ったゴーシュは、戸棚からパンをひとつまみむしって野ねずみに与えた。野ねずみは、泣いたり笑ったりお辞儀したりして、それをくわえて外に出て行った。

ゴーシュは寝床に倒れてすぐに眠ってしまった。

 

6 音楽会のアンコールで大成功

それから6日目の晩、町の公会堂で音楽会が行われ、首尾良く「第六交響曲」を演奏した「金星音楽団」の人達が舞台から引き上げてくると、ホールでは嵐のような拍手が鳴り止まない。司会者が楽長にアンコールを求めると、楽長は「おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ。」とゴーシュを指名する。

みんなも困ったゴーシュを強引に舞台に押し出して囃し立てる。馬鹿にされたと感じたゴーシュは、まるで怒った象のような勢いで「印度(インド)の虎狩り」を弾き始めた。(※猫をいじめる時に弾いた曲です。)ゴーシュはすっかり落ち着いており、聴衆はシーンとなって一生懸命聞いた。


印度(インド)の虎狩り

曲が終わるとゴーシュは素早く楽屋へ逃げ込む。すると楽長が絶賛して迎える。「ゴーシュ君、よかったぞお。一週間か10日の間にずいぶん仕上げたなぁ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」仲間もみんな立って来て「よかったぜ。」と言った。
(楽長から指摘されていた、リズム・音程・感情の全てが改善されており、それが楽長や仲間からの大絶賛につながったと思われれます。同時に動物たちから受けていた恩恵に気づき、感謝の気持ちが出てきたようです。)

その晩遅く、ゴーシュが自分の家に帰ってくると、窓を開けていつかかっこうの飛んでいった遠くの空を眺めて言った。「ああかっこう。あの時はすまなかったなあ。俺は怒ったんじゃなかったんだ。」
(※4匹の動物のうち、狸とねずみは依頼された通り演奏を行って、お礼を言って帰ってきました。ゴーシュが怒って追い返した動物は、猫とかっこうだったはずなのですが、ゴーシュはなぜか猫には謝りません。)


「セロ弾きのゴーシュ」予告編

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感想!

最初の場面でゴーシュは、楽長に散々ダメ出しをされ、悔しさのあまり涙まで流します。しかし毎晩現れる動物たちとの交流を通じて、色んな事に気付かされ、自分の弱点を克服していきます。そしてわずか10日後には、楽団の落ちこぼれからスターへと劇的に成長しました。

喋る動物たちとどんな交流をして、何を学んだのか、といったところに目が行きがちですが、まずそれより先に、ゴーシュ自身がほぼ毎日明け方まで、ものすごい勢いで練習していたところに注目したいです。

彼の劇的な成長は、涙は流すほどの悔しさと、それをバネにした猛烈な努力があったからこそと思います。どんなに絶妙なきっかけを与えられても、本人に成長しようという強い意志がなければ、そのきっかけに気付くことも学んで成長の糧にすることもできないはずです。

逆にこれだけ成長しようとする強い意志のある人なのであれば、動物たちの訪問がなかったとしても自力で打開することもできたでしょうし、もし仮に本当に行き詰まったとしたら信頼できる人に自ら積極的に相談しに行ったことでしょう。

 

どんな人にだって、人生の中で何かにものすごく打ち込んで、飛躍的に進歩した時期があったはずです。

僕も学生時代に、寝る以外のすべての時間を勉強に費やして劇的に学力が伸びた時期もありましたし、サッカーやベンチプレスの練習が楽しくて飛躍的に技術や記録が伸びた時期があったことも思い出しました。

僕はこの「セロ弾きのゴーシュ」を読んで、もう一度がむしゃらに何かに打ち込む時期を体験したい、そんな気持ちにさせられました。

 

基本的にこの本は、これから何かに打ち込む若い人向け本なのですが、社会人になって改めて読んでみても、もう一度がむしゃらに何かに挑戦したい!と心が奮い立つ素晴らしい本だと感じます。

僕はこの本を、大人になった皆さんにもお勧めしたいです。

それでは。

 

宮沢賢治の他の作品についても書いてみましたので、お時間があったら読んでみてください。
 
それとも他の本を読んでみる?

 

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