【10分で銀河鉄道の夜】あらすじ、感想、内容!【宮沢賢治】

銀河鉄道の夜」は宮沢賢治(1896-1933)の代表作の一つ。生と死、そして自己犠牲を主なテーマとした未完の作品で、非常に美しく幻想的な描写と優しくて切ないお話として有名です。決して難解なストーリーがあるわけでもなく話が長いわけでもありませんが、賢治による独自の世界観や造語、専門用語などが散りばめられているため、解釈が難しく意外と難しいお話でもあります。また、この作品から生まれた派生作品は多く、後の日本社会に非常に大きな影響を与えた文学としても知られています。
この「銀河鉄道の夜」のあらすじと感想を書いてみました。

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まずは「銀河鉄道の夜」の内容をざっくり解説!

漁から戻らない父のことでクラスメイトにからかわれている貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友のカムパネルラと共に銀河鉄道に乗って旅(北十字から南十字)をするというお話。そこで様々な人たちと出会って生きる意味を発見していき、「みんなの本当の幸いのために一緒にいこう。」とカムパネルラと誓い合うが、まもなくカンパネラは消えてジョバンニは目覚める。そしてジョバンニはカムパネラが自分の命を犠牲にしてクラスメイトのザネリを救ったことを知り、まもなく父親が帰るという知らせに勇気づけられる。
このような内容になっています。

 

登場人物

ジョバンニ

孤独で内気な小学生。家は貧しく母親が病気のため、新聞配達や活版所でのアルバイトをしている。父親がらっこの密猟で投獄されたと噂され同級生たちからからかわれているが、実際は遠洋漁業のため長く家に帰っていないだけ。ジョバンニのモデルは宮沢賢治自身と言われている。

カムパネルラ

ジョバンニの同級生で親友。父親同士も少年時代からの親友。裕福で人気者の優等生。母親は石炭袋にいるとあるため、おそらく既に亡くなっている。ジョバンニに同情的だが、川に落ちたザネリを助ける際に溺れて命を落とす。ジョバンニと銀河鉄道の旅をするが、最後に突然消えていなくなる。カムパネルラのモデルは賢治の高校の一年後輩の保阪嘉内(ほさかかない)とされている。

ザネリ

ジョバンニの同級生でジョバンニをからかういじめっ子。銀河の祭りで烏瓜(カラスウリ)の明かりを流す際に川に落ちカムパネルラに助けられたことが最後に判明する。

ジョバンニの母

病気で床に臥せているため、ジョバンニは幼くして働かざるをえない。

鳥捕り

銀河鉄道の乗客の一人。雁やサギなどの鳥を捕まえて、食用として売る商売をしている。

大学士(学者)

途中下車した先で出会う。学説を証明するため牛の祖先の化石を発掘している。

姉弟と青年

12歳くらいの姉(かおる子)、6歳くらいの弟(タダシ)、そしてその家庭教師。乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気が付くと銀河鉄道に乗っていた。すでに自分たちが死んでいることを自覚しており、南十字(サウザンクロス)で降りる。姉はみんなの幸いのために「赤い火となって死んださそり」の話をし、それを聞いたジョバンニたちは「みんなの幸いのために共に歩もう」と誓い合う。

カムパネルラの父親(博士)

ジョバンニに息子のカムパネルラが川に落ちて四十五分たち生存の可能性がないことと、ジョバンニの父親が間もなく帰ってくることを伝える。

 

あらすじ

銀河鉄道の夜」は全体が九つの章立てになっていますが、1から8章までが非常に短く、9章の「ジョバンニの切符」だけで全体の約半分を占めるという、少しいびつな構成となっています。場面は大きく3つに分類されます。
①ジョバンニの日常が描かれる星祭り当日の様子(一から五章まで)。
②その夜のジョバンニとカムパネルラによる銀河鉄道の旅(六章から九章の終盤まで)。
③目が覚めてカムパネルラが水に落ちたまま上がってこないことを知る場面(九章の終盤から)。

星祭りとは青い明りをこしらえて烏瓜(カラスウリ)を川に流す町の銀河の祭りのこと。②は夢の中の話で、①~③は全て「星祭り当日の一日の出来事」ということになります。

一 午后(ごご)の授業

小学校で銀河系と天の川の仕組みに関する授業が行われている。「天の川とは本当は何なのか?」について先生に問われたジョバンニは、答えが「星」であることを知りながら、どぎまぎして答えられない。続いて指名された親友のカムパネラは、やはり答えを知りながら答えられないジョバンニに気を使って答えなかった。それを察したジョバンニはカムパネルラに申し訳ないと思った。内気なジョバンニとそれを気遣う優しい優等生カムパネルラの関係がうかがえるシーンです。

二 活版所

その日の放課後、ジョバンニは活版所へ活字拾い(昔の印刷技術で、漢字やひらがなが刻まれたプレートを並び替えてインクを塗って印刷する手法)のアルバイトに行く。彼はこの職場でも大人たちに「虫メガネくん」というあだ名を付けられ冷たく笑われている。仕事を終えると銀貨を受け取り、パン屋へ寄ってパンと角砂糖を買って帰る。ここでは家が貧しく、小学生にもかかわらず働かざるを得ない過酷なジョバンニの日常が描かれています。

三 家

ジョバンニが家に帰ると病気の母が寝ており、牛乳(角砂糖を入れてお母さんに飲ませるつもり)がまだ配達されていない。北方へ遠洋漁業に出たきり帰ってこない父親のことや、ジョバンニとカムパネルラの父親が少年時代から仲が良かった、といった内容を母親と話した後、ジョバンニは牛乳を取りに行きながら銀河のお祭りを見に行く。この章では母親が病気で父親が長期にわたって不在の孤独で厳しい環境であることがわかります。

四 ケンタウルス祭の夜

ジョバンニは牛乳屋に行き配達されるはずの牛乳を取りに行くが、出てきた老婆の容量が悪く「担当者がいないからまた来てください。」と追い返される。そのまま銀河のお祭り(ケンタウルス祭)に行くと、カムパネルラを含む6、7人の同級生を連れたザネリたちに会い「ラッコの上着がくるよ。(当時ラッコの上着は高級品だったが、密猟の対象にもなっており、「お前の父ちゃんが家にいないのは捕まって刑務所にいるからだろ?」という皮肉)」とからかわれる。カムパネルラは気の毒そうに黙って同情の視線を送る。傷ついたジョバンニは、青い明りを乗せた烏瓜(カラスウリ)を川に流す銀河のお祭りに行くザネリたちと別れ、一人町はずれの黒い丘へ向かった

五 天気輪の柱

町外れの黒い丘の頂に着いたジョバンニは、天気輪と呼ばれる柱の下に横たわり悲しみをこらえながら星空を見上げる。
(ここまでが現実世界のお話になります。)

六 銀河ステーション

突然「銀河ステーション、銀河ステーション」という声が聞こえ、目の前がパッと明るくなる。そして気が付くとジョバンニはごとごと走る小さな列車に乗っていた。すぐ前の席にはカムパネルラが乗っており、「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えに来たんだ。」と言う。
この段階ではカムパネルラの発言の意味は分からないが、「僕は助からなかったけど、僕が助けたザネリはもう帰ったよ。」という意味。最後まで読むと発言の意味が分かる仕組みになっています。
またここからは銀河鉄道からの風景が描かれますが、その描写があまりにも美しいので少しご紹介します。「青白く光る銀河の岸に、銀色のすすきが、いちめん風にさらさらゆれうごいて、波を立てている。天の川のきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら流れていく。」

※銀河鉄道の世界観について少し説明します。北十字や白鳥など星座の名前などが出てきますが、列車が宇宙を走っているわけではありません。青白く光るりんどうや銀色に輝くすすきなどの自然が描かれており、宇宙と賢治の生まれた岩手を合体したようなオリジナルの世界と言われています。天の川と北上川を融合したような川に沿って走る列車に乗って、銀河ステーションから北十字、白鳥の駅、鷲の駅、南十字といった地上の駅を巡る旅であって、星と星の間を列車が走っているわけではありません。駅名などを星の配置になぞらえているだけです。

 

七 北十字とプリオシン海岸

カムパネルラは突然「おっかさんはぼくをゆるして下さるだろうか。」といいだす。さらにカムパネルラは続ける。「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする。」「誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」 これは「すでに亡くなっているカムパネルラの母さんは、たった今死んでしまったカムパネルラをゆるしてくれるだろうか。いや、友人(ザネリ)を一人救ったじゃないか。きっとゆるしてくれるに違いない。」という意味合いだが、この時のジョバンニにはそれが理解できない。
白い十字架の立つ島「北十字」を通過した後、白鳥の停車場で20分停車する。2人はその間に降りてプリオシン海岸へ行き、くるみの化石を拾い、牛の先祖の化石を発掘している大学士たちに会う。

八 鳥を捕る人

赤髭の鳥捕りが乗車してきて、捕った雁を分けてもらうが、平べったくまるでお菓子のようだった。鳥捕りは突然車内から消え、川原でサギを20匹ほど捕まえると、次の瞬間にはジョバンニの隣にいた。
この銀河鉄道の中では現実離れしたことが普通に起こります。

九 ジョバンニの切符(全体の半分ほどのボリュームがあります。)

アルビレオ観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこでも行ける特別な切符であることを知る。鷲の停車場あたりで鳥捕りが消え、姉弟と青年が現れて長話をする。姉(かおる子)は12歳くらいで弟(タダシ)は6歳ほど、そして青年はその家庭教師。彼らは「乗っていた客船が氷山に衝突して沈み(1912年のタイタニック号の沈没を素材としている)、気が付いたらここにきていた」と言い、すでに神様に召されていることを自覚している。汽車の外には、渡り鳥の交通整理をする男や鶴を弓矢で射るインディアンなどが現れ、遠くの野原の果てから終わりを暗示する「ドヴォルザークの新世界」の旋律が流れてくる。風景も川が二つに分かれたり、崖の上を通ったりと変化します。


川の向こう岸が赤く燃えているのを見て、女の子が言う。「さそりが焼けて燃えているの。小さな虫を殺して食べていたさそりが、いたちに襲われて井戸に落ち、多くの命を奪ったことを後悔して、神様にどうかみんなの幸いのために私の体をお使いください。と言ったの。そしたらさそりは真っ赤な美しい火になって夜のやみを照らし、いまでも燃えている。ってお父さんおっしゃったわ。」(釈迦の前世が自らの体を虎に食わせたとされる「捨身飼虎(しゃしんしこ)」をモデルとした話で、賢治の愛した思想。) サウザンクロス(南十字)にはあらゆる光が散りばめられた巨大な十字架がそびえたち、そこで大半の乗客と姉弟たちは降りた。外には「ハレルヤ」の讃美歌が響き終わりを予感させる。ジョバンニは彼らが既にこの世で生きてはいないことも、彼女たちに二度と会えないことにも気づいており、涙をこらえながら「さようなら」と言う。


残されたジョバンニとカムパネルラは「どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕達もあのさそりのように本当にみんなの幸いのために共に歩もう。」と誓い合う。しかしその直後、天の川の側に石炭袋(南十字座には星が少なく薄暗い暗黒星雲エリアがあり、石炭袋と呼ばれた。賢治はこの石炭袋を現世と冥界を分ける通路と考えたらしい。)と呼ばれる真っ暗な穴が現れ二人は恐怖に襲われる。カムパネルラは「あすこにいるのはぼくのお母さんだよ。(お母さんはすでに死んでいるという意味だと思われる)」と言い残す。それに対しジョバンニが「カムパネルラ、僕達一緒に行こうねえ。」と振り返ると、カムパネルラの姿は既に車内にはなく、返事は永久に帰ってこなかった。もう会えないと悟ったジョバンニは窓の外に体を乗り出して叫び、咽喉いっぱいに泣き出した。

(ここから現実世界へ戻ります。)
突然元の丘の上でジョバンニは目を覚ました。頬にはまだ涙が流れている。さそり座の赤い星がうつくしくきらめき、星座の位置は旅立つ前とそんなに変わっていない。ジョバンニは町へ向かい、途中でもらえなかった牛乳を牛乳屋でもらい、川へ向かうと「子供が水へ落ちた」と知る。そして同級生マルソから「カムパネルラが川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になった。ザネリはうちへ連れられてった」と聞かされる。カムパネルラの父(博士)は「もうだめです。落ちてから四十五分たちましたから。」とすでに諦めており、駆け付けたジョバンニにお礼を言う。ジョバンニはカムパネルラが汽車の中であった直後に言った「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えに来たんだ。」「おっかさんはぼくをゆるして下さるだろうか。」の意味がようやくわかった。さらに「ジョバンニのお父さんから一昨日便りがあったから、今日あたり家に帰れるだろう。」とジョバンニに告げる。ジョバンニはいろんなことで胸がいっぱいになり、牛乳と父の知らせを持って母の元へ急いだ。

もっと詳しく聞きたい方にはこちらの動画がオススメ!

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感想

出典:ウィキペディア

宮沢賢治の生前の発表作品は数点しか存在せず、「銀河鉄道の夜」をはじめ、彼の代表作の多くは死後に友人が見つけて世に出したものになります。金のためでもなく名誉のためでもなく、自身の信じる美徳、信念を純粋に表現しようとしたものだからこそ、多くの人々の心の奥深くに響き続けているのかもしれません。

この作品の成立に深い影響を与えたとされる作品に「永訣の朝」があります。
永訣の朝」は、26歳の時に最愛の妹トシ子が死ぬ朝を描いたもので、トシ子に頼まれて泣きながら彼女に食べさせる雪を取ってくるという内容の詩。僕はこの詩を読んで涙がこぼれました。この後父親と対立し、妹をキチンと弔うことができなかったことが、「銀河鉄道の夜」において「友人をあの世へと見送る話」を描くきっかけになったとも言われています。

もう一つ、彼の信念を書き綴った有名な作品が「雨にも負けず」。
雨にも負けず」は、雨にも負けず風にも負けず、東に病気の子供があれば行って看病するなど、誰かのために尽くすものに、私はなりたい、といった内容のもので、死を間際にした賢治が自分の手帳に書いたただのメモ。

いずれも賢治が自分のために書いたものであって、彼はこれを世に出すつもりはありませんでした。だからこそ多くの人に共感されるのかもしれません。そしてそこには、釈迦の前世が自らの体を虎に食わせたとされる「捨身飼虎(しゃしんしこ)の自己犠牲の精神」が共通してありました。

この「銀河鉄道の夜」にも、自分を犠牲にして他の生き物の役に立とうとして赤く燃え続けるさそりのお話が登場し、ジョバンニとカムパネルラは「僕達もあのさそりのように本当にみんなの幸いのために共に歩もう。」と誓い合う場面が描かれます。さらにカムパネルラは自らを犠牲にしてザネリの命を救いました。まさに宮沢賢治が愛した「捨身飼虎(しゃしんしこ)の自己犠牲の精神」なのですが、賢治が長年うちに秘め続けてきたの信念だったからこそ多くの日本人の心の奥深くに突き刺さるのではないかと思います。

僕はこの銀河鉄道の夜を将来自分の子供に読ませたい。それは人の心の痛みの分かる人に育ってほしいから。命まで捨てろとは言わないが、社会では「みんなのためにために尽くすこと」がいずれ必ず必要になってくるから。

でもそれは、このお話だけを読んでも足りないと思う。彼が何の目的でこれを書いたのか、どんな信念を持っていかに生きたのか、他にどんな文学を残したのか、これを知らなければ彼のメッセージは読者の心の奥深くには届かないのではないかと思う。

もしかすると、宮沢賢治の文学は彼の人生、生き様を含めた全てが「一つの作品と言えるのかもしれない。そしてそれに気づいたとき、宮沢賢治のこの美しい思い、この世界観を、受け入れることができるのかもしれない。自分もこうありたい、こうあるべきではないだろうか、と思えるようになるのかもしれない。

僕はそのように思います。

銀河鉄道の夜」の話を一言で言ってしまえば「友人をあの世へと見送るお話」。そして多くの人がその幻想的で美しい描写と優しくて切ない世界観に感銘を受けます。でもここから「みんなのために尽くすことの大切さ」を確かに伝えるために、僕は子供に賢治の他の文学作品も読ませ、彼の人生についても語りたいと思う。

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