【5分で鼻】あらすじ・内容・解説・感想【芥川龍之介】

」は、芥川龍之介(1892−1927年)が1916年2月の東京帝国大学在学中に発表した短編小説。ある鼻の長い高僧が、内心それを恥じてなんとか短くすることに成功するも逆に笑われ、その後元の鼻に戻ってほっとするという話。古典を題材に「不幸への同情と幸福への妬み」という人間の心理を浮き彫りにした文学で、夏目漱石に絶賛され芥川が作家としての命運を開くことになった作品と言われています。
この「」について、あらすじ・内容・解説・感想を書いてみました。

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まずは簡単な内容と解説!

大正時代、自然主義と新技巧派と呼ばれる文学スタイルがありました。赤裸々な自己告白などのリアリズムを追求する文学スタイルが自然主義とされていますが、その自然主義を否定した理念の文学・虚構の文学を新技巧派と言い、芥川龍之介がその新技巧派の代表格と見られていました。

芥川の作品の特徴は、洗練された文体と感情よりも知性の重視、そして非常に高い作品の完成度。中でも特に芥川が得意としたのが「羅生門」(1915年)のように古典に題材を求め、そこに彼特有のテーマや脚色を折り込み新しい文学を創作する手法。

この「」にも題材となる作品があり、それが「今昔物語集」(平安時代末期に成立した説話集)の「池尾禅珍内供鼻語(いけのぜんちないくのはなのこと)」と「宇治拾遺物語」(鎌倉時代前期に成立した説話集)の「鼻長き僧の事」。この2つの古典によると中身はほぼ同じ内容で、おおむね次のようなお話になります。

昔、京都の池尾に長さ五,六寸(15〜18 CM)の赤紫色の鼻を持つ禅珍(ぜんちん)という僧が住んでいた。禅珍は鼻が痒くてたまらなかったため、鼻を熱湯に浸し、弟子に踏ませた。すると毛穴から四分(1.2 CM)程の脂の塊が出て、普通の人と同じぐらいの大きさに鼻が縮んだ。しかし2,3日経つと再び痒くなり、鼻も元に戻ってしまったため、同じことを繰り返した。
こんな状態だったため、禅珍は弟子に持たせた板の上に鼻を置きながら粥などを食べていたが、ある日その弟子が寝込んでしまったため、他の童に板を持たせた。ところがその童が突然くしゃみをし、禅珍の鼻が粥に落ちて飛び散った。これに激怒した禅珍は「相手がこの私だったからよかったが、もし高貴な方の鼻を持ち上げてる最中に、今の失態をしたらどうするつもりだ。大馬鹿者め!」と怒鳴りつけた。すると童は「こんな大鼻人間が他にもいらっしゃるとお思いですか。」と言い、これを聞いた弟子たちは、外に出て大笑いした。

有名なお話ので聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。鼻の長さが五,六寸(15〜18 CM)で、熱湯に浸して踏むと普通のサイズになると言ってる時点でどこまで実話に基づいているのかあやしいところなのですが、芥川はこのお話を題材に短編小説「鼻」を書き上げました。原作によると禅珍が鼻を熱湯に浸し踏ませたのは、あくまで「痒くてたまらないから」。芥川はここに「人のコンプレックスと葛藤、不幸への同情と幸福への妬み」という独自のテーマと脚色を折り込み、誰もが共感できる新しい文学を創作しました。

 

あらすじ!

(※時代を特定する記述はありませんが、おそらく平安時代だと思われます。)
池の尾(※現在の京都府宇治市池尾町)の僧である禅智内供(ぜんちないぐ※宮中の内道場で天皇に奉仕する高僧を内供と言う)には五,六寸(15〜18 CM)もある顎の下まで下がった鼻があり、人々に陰でからかわれていた。

既に五十歳を超えていた内供は二つの理由でこの鼻に困っていた。一つは長すぎる鼻がおわんの中に入ってしまい、一人で食事もできないほど不便なこと。そのため弟子に板で鼻を持ち上げてもらいながら食べることにしていたが、ある時弟子の代わりに板を持ってもらった中童子(ちゅうどうじ※寺で給仕に使った少年)がくしゃみをした瞬間に粥(かゆ)の中へ鼻を落とし、その噂が京都まで広がり笑いものになった(※このお話が上で紹介した今昔物語集の説話です)。もう一つがこの長い鼻がコンプレックスで自尊心を傷つけられていたこと(※こちらの理由が芥川が新たに設定したコンプレックスと葛藤)。彼は自分の鼻を気にしていることを人に知られるのが嫌だったため、表面上気にしていないように装っていたが、実は少年の頃からコンプレックスを持っていた。

そんな内供は自尊心の回復を密かに試みる。ある時は、人のいない時に鏡に向かって根気よく自分の顔を眺めて鼻が短く見える角度を探す。またある時は、寺に出入りする僧侶たちの顔を物色し、自分と同じような鼻の人間を探す。またある時は、書物を開いて歴史上の人物に鼻の長い人を探す。しかし自分と同じ鼻を持つ人を見つけることはできず、自尊心の回復にはつながらなかった。カラスウリを煎じて飲むなどの鼻を短くする方法もやれることはほとんど試みたが、効果は全くなかった。

ところがある年の秋、弟子の僧が中国から渡ってきた医者から鼻を短くする方法を教わってきたため、早速試すことにした。まず手桶に熱湯を入れ、薄い板の盆に穴を開けて手桶の蓋にする。この穴に鼻だけ入れて熱湯に浸す。鼻が茹で上がると今度は横になり、弟子に足で踏んでもらう。やがて粟粒(あわつぶ)のようなものが鼻にできると、その脂を毛抜きで抜く。すると脂は四分(1.2 CM)程の長さになって抜けた。これをもう一度繰り返すと、あの顎の下まで下がっていた鼻は、上唇の上まで嘘のように萎縮した。晴れ晴れとした心持ちになった内供は、もう誰も笑うものはいないに違いない、と思った

ところが2,3日経つと、内供(ないぐ)は意外なことに気づく。池の尾の寺を訪れた従者たちは、以前にもまして内供の鼻をじろじろと眺め、鼻を粥に落とした中童子は内供の顔を見て突然吹き出す。寺の下法師(しもほうし※雑役をする身分の低い下僧)たちは、内供の陰でクスクス笑いだした。その笑い方が鼻が長かった頃とはどうも違う。

人間の心には矛盾した二つの感情がある。一つは人の不幸に同情する心で、もう一つはその人が不幸を切り抜けると物足りなくなり、同じ不幸に陥れてみたくなる心(※これが芥川が設定した主題「不幸への同情と幸福への妬み」)。内供は池の尾の僧たちにこの傍観者の利己主義を感じ取り、日増しに機嫌が悪くなっていた。そしてしまいには、鼻が短くなったことがかえって恨めしくなった

そんなある風の強い寒い夜、床の中で寝つけないでいると、鼻が熱を持ってむず痒いことに気がつく。翌朝内供が、いつものように朝早く目を覚ましてみると、五,六寸もある昔の長い鼻に戻っており、忘れようとしていた感覚が再び戻ってきた。同時に内供は、鼻が短くなった時と同じような、晴れ晴れとした心持ちが帰ってくるのを感じた

内供は改めて思った。こうなればもう誰も笑う者はいないに違いない

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感想!

時代を超えた人の心理の普遍性を捉えた作品

今昔物語集」の「池尾禅珍内供鼻語(いけのぜんちないくのはなのこと)」と芥川の「」を読み比べてみると、主人公となる鼻の長い内供は同一人物とし、設定を微妙に変えているようです。

まず「今昔物語集」では禅珍(ぜんちん)の鼻は、2,3日おきに縮んだり伸びたりすることになっていますが、「」では縮んで伸びるのは一回だけ。

そして鼻を茹で弟子に踏ませて短くした理由は、「今昔物語集」では「痒いから」であるのに対し、「」では「不便であることに加えコンプレックスだったから」。

芥川は「今昔物語集」の単なる滑稽談に、「人のコンプレックスと葛藤、不幸への同情と幸福への妬み」という人間の普遍的な心理描写を折り込み、平安・大正・令和の区別なく、いつの時代の誰もが共感できる新しい物語を創作しました。

いつの時代も共感できる人間の普遍的な心理を捉えているからこそ、令和の現在に読んでも面白いのだと思います。

この古典に普遍的な主題を織り込んで新たな文学を創作する手法は、前年(1915年)に発表した「羅生門」以来、芥川作品の代表的な特徴となっています。

実は夏目漱石の小説にも、いつの時代も共感できる普遍性というものが色濃く描かれており、そこに100年以上にわたって読まれ続け、国民的作家とまで呼ばれている理由の一つがあるのではないかと思われます。

漱石がこの「鼻」を絶賛したことで、芥川の作家としての命運を開くことになった、と言われていますが、漱石は芥川がこの「時代を超えた人の心理の普遍性」を捉えたことを特に評価したのではないだろうか、と感じました。

レジェンド・漱石にべた褒めされた若手の芥川は、さぞかし「鼻が高かった」ことでしょうね。

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顔の角度を研究する男たち

出典:ウィキペディア

この作品の中で個人的に特に面白いと思ったところが、「50を過ぎたおじさん僧侶が、人のいない時に鏡に向かって根気よく自分の鼻が短く見える角度を探す」ところ。確かに絵づらとしても面白いのですが、基本的にこういう描写って、自分でやったことないとなかなか書けないと思うのですよね。芥川さん確かにイケメンなんですけど、言われてみればこの写真ちょっとナルシストっぽいような……。芥川さんもカッコよく見える角度を探していたのかなぁ……。

あなたはどう思われましたか?
ちなみに僕も探したことあります(^_^;)。

それでは。

 

他の芥川の名作についても書いてみましたので、お時間があったら読んでみてください。
 
それとも他の本を読んでみる?

 

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