【5分で芋粥】あらすじ・内容・解説・感想!【芥川龍之介】

芋粥(いもがゆ)」は、1916年9月に芥川龍之介(1892-1927年)が発表した短編小説。日頃芋粥を飽きるほど食べてみたいと夢見ていた冴えない中年役人が、いざ本当に大量の芋粥を目の前にすると食欲をなくしてしまうというお話で、「欲望は達せられないうちに価値があるのであって、達してしまうと幻滅する」という現代的な心理描写を描き出した小説。同年2月に発表した「鼻」が夏目漱石の絶賛を受けたことにより、一気に頭角を現していった時期の作品になります。
この「芋粥」について、あらすじ・内容・解説・感想を書いてみました。

スポンサードリンク

 

まずは簡単な内容と解説!

大正時代の文学の流行に、自然主義と新技巧派と呼ばれるものがありました。赤裸々な自己告白などのリアリズムを理想とした様式が自然主義であるのに対し、その自然主義を否定した理念の文学・虚構の文学が新技巧派とされ、当時芥川がその新技巧派の代表格と見られていました。

その芥川文学の特徴とされたのが、感情よりも知性の重視、芸術至上主義、そして洗練された文体に高い完成度。中でも芥川が特に得意としたのが、「羅生門」のように古典に題材を求め、そこに普遍的なテーマや独自の解釈を折り込み新たな文学を創作する手法。

この「芋粥」にも題材となった古典があり、それが「今昔物語集」(平安時代末期に成立した説話集)の「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語」と、「宇治拾遺物語」(鎌倉時代前期に成立した説話集)の「利仁芋粥の事」。この二つの説話はほとんど同じ内容で、要約すると次のようなお話になります。

平安時代前期、関白家(藤原基経)に長く使える五位(ごい・位階の一つで名前は明かされない)が、芋粥を飽きるほど食べてみたがっていることを知った藤原利仁(としひと・下総国などの国史を歴任した平安前期の貴族・従四位下)が、敦賀(つるが・福井県南西部)の屋敷に五位を招き、近所から芋を集めて大量の芋粥を料理してもてなす。五位は大量の芋粥を前に食欲をなくし「もう満腹です」と言うと、みんなが笑ってみんなで食べた。五位は1ヶ月ほど滞在を楽しんだ後、お土産を大量に渡されて帰った。長年同じ所に仕え世間から認められる者には、このような果報を受ける者もいるのである。

「今昔物語集」を要約すると概ねこのような内容になります。確かに五位は飽きるほど食べてみたいと思っていた大量の芋粥を前に食欲をなくしますが、あくまでこれは利仁の豪快なもてなしがお話の中心になります。また原文を読む限り、五位は決して冴えない役人とは描かれておらず、同じ所(藤原基経)に長く仕え世間から認められたからこそこのようなご褒美(接待・芋粥とお土産)があるのだ、という形で描かれています。そして五位として名前も記載されていないのは、軽んじられているからではなくこの物語の主人公が利仁だから、ということになるようです。

芥川は「今昔物語集」のこの説話を題材に、主人公・五位を冴えない役人に変更して、「欲望は達せられないうちに価値があるのであって、達してしまうと幻滅する」という現代的な心理描写を浮き彫りにした「芋粥」を描いたようです。なお「芋粥(いもがゆ)」とは、山芋をアマヅラという甘味料で煮た粥のことで、当時の高級料理とされています。

スポンサードリンク

 

あらすじ!

1 冴えない中年役人五位、大量の芋粥を夢見る

平安時代前期の元慶(がんぎょう・877−884年)の末か仁和(にんな・885−888年)の初め頃、摂政藤原基経(もとつね・836−891年・臣下で初めて関白となり権勢を振るった人物・藤原道長のひいひい爺さんにあたる)に仕えてい侍(※平安時代に有力貴族に仕える官人のことであり、武士の意味合いはない。)に五位(※ごい・官位の一つ。昇殿を許された者の中では最下位。主人公だが最後まで名前は明かされない。)がいた。

彼は既に40を超えた中年で背が低く、赤鼻の頬がこけた風采の上がらない男だった。同僚たちはそんな五位に対して冷淡で、空気のように無視をし、馬鹿にして笑い者にしていた。しかし意気地がなく臆病者だった五位は、それに対して腹を立てたことすらなく、「いけぬのう、お身たちは。」と笑顔で言うだけだった。みすぼらしくうだつの上がらない五位は、通りすがりの物売りや道端に集まった子供達からも馬鹿にされていた。
(※今昔物語集ではこのような悲惨な描写ではなく、長年摂関家に使え世間から認められた者として描かれています。)

そんな五位は5,6年前から「芋粥(いもがゆ)」というものに異常な執着を持っていた。「芋粥」とは山芋をアマヅラという甘味料で煮た粥のことで、当時は天皇陛下の食膳に出されるほどの高級食材。彼の唯一の欲望が「その芋粥を飽きるほど飲んでみること」だった。ある日その彼の欲望が容易に実現することになる。その始終を書こうというのがこの「芋粥」の話の目的である。
(※この小説では芥川は、物語を進めるのにこのような形式をとってます。)

 

2 五位、藤原利仁に芋粥を誘われる

ある年の正月、主の藤原基経の邸宅(京都)で宴が催され、五位も外の侍たちにまじってその残りを相伴(しょうばん)した。数多くの料理が振舞われる中に例の芋粥もあり、五位は毎年この芋粥を楽しみにしていた。そしてその芋粥を平らげた後、「いつになったら、これを飽きるほど食べられるかのう。」とつぶやくと、これを聞いた藤原利仁(としひと・越前・武蔵守を歴任した武将で武勇に優れた人物)が意外な申し出をする。「あなたは芋粥を飽きるほど食べたことがないのですか。お気の毒なことだ。お望みなら、利仁が飽きるほど食べさせて差し上げよう。」衆人の視線が五位に集まる中、五位は「かたじけのうござる」と返事をして利仁の誘いに乗った。

スポンサードリンク

 

3 利仁の屋敷が遠かった件と狐の使者

それから4,5日経った日の午前、五位は利仁の案内のもと、約束通り芋粥を御馳走になりに彼の屋敷へ向かう。逞しく身なりのいい藤原利仁とだらしなくみすぼらしい五位は瞬足の馬に乗り、その後にそれぞれの従者2人が続いた。

とりあえず京都から東へ向かうが、五位は行き先がわからない。聴いても利仁が焦らして教えてくれないのだ。すぐに到着するものと思っていた五位だが、昼を過ぎて逢坂山を超えてもまだ着かない。
そこでようやく利仁が行先を告げる。「実は敦賀(つるが・越前・今の福井県)まで、お連れしようと思ったのじゃ。」
あまりの遠さに五位は狼狽して答える。「敦賀と申すと、あの越前の敦賀でございますかな。初めからそうおっしゃっていただければ、下人などを召つれようものを…。」
遠いだけでなく、当時この辺りは盗賊が現れるという噂もあったのだ。
それに対し武勇の誉れ高い利仁が答える「利仁一人居るのは、千人とお思いなされ。道中の心配はご無用じゃ。」
芋粥に釣られた意気地のない五位は、利仁の意思に従う他になかった。

日が傾いた頃、利仁が突然「よい使者が参った。敦賀へのことづけを申そう。」と言って一匹の狐を捕まえる。そして「これ狐、よう聞け。その方、今夜敦賀の利仁の館へ参ってこう申せ。「利仁が客人を連れて来るから、明日の午前10時頃、高島の辺り(滋賀県高島市)まで馬と男たちを迎いに遣わせるように。」よいか忘れるなよ。」

利仁がその狐を草むらの中に放り出すと、狐は枯れすすきの中を風のように走り出した。これを見た五位は、尊敬と賛嘆の目で利仁を仰ぎみた。
(※遠くの敦賀まで案内される話や狐の使者の話は、もともと「今昔物語集」に載っている話で、芥川は特別な変更を加えていません。)

 

4 本当に狐が伝言を伝えていた

翌日午前10時頃、予定通り一行が高島の辺りに来ると、二匹の馬を率いた2,30人の男たちが、利仁たちの方へ行ってくる。どうやらあの狐が使者をつとめたらしい。

二人が馬から降りると、白髪の郎等が利仁の前にきて語りだす。「夜前、稀有なことがございましてな。昨晩夜8時頃、(利仁の)奥方が突然人の心を失いまして「おのれは坂本(大津市坂本町)の狐じゃ。殿は今客人を連れて来られるところじゃ。明日午前10時頃、高島の辺りまで馬2匹と男どもを迎えに使わして参れ。」とおっしゃいました。」
(※これはいわゆる狐つきです)
それを聞いた五位は、媚びるような相槌を打ちながら言う。「それはまた、稀有な事でござるのう。」
それに対して利仁は得意げに答える。「利仁には獣も使われ申すわ。」
(※これは全て今昔物語集原作に載っているお話であって、芥川の脚色ではありません。藤原利仁の偉大さを強調するためにこのような内容になっていると思われます。)

 

5 大量の芋粥を前に食欲をなくす

その日の内に一行は利仁(としひと)の屋敷に到着した。その晩、五位(ごい)は屋敷で寝付けないでいた。すると外の庭から誰かの大きな声が聞こえる。どうやら今日途中まで迎えに来た白髪の郎等らしい。「この辺りの下人(地頭などに隷属して雑役に従事した者たち)、承れ。明日の朝6時までに、切り口3寸(9センチ)長さ5尺(150センチ)の山芋を、各々一本ずつ持ってまいれ。と殿が仰せである。」これが2,3度繰り返されて、静かになった。

これを聞いた五位は、芋粥の準備だと悟り、急に不安に襲われる。こんなに容易に芋粥を飽きるほど食べることができてしまっていいのだろうか。今まで何年も辛抱していたものが、無駄になってしまうのではないか。と願望が実現してしまうことに対する謎の葛藤を始める。そしていつのまにか旅の疲れでぐっすり眠ってしまった。

翌朝6時過ぎ、五位が目を覚まして庭を見てみると、山の芋が2,3千本山のように積んであり驚愕する。さらに五斛納釜(ごくのうがま)と呼ばれる約900リットルも入る大きな釜を五つ六つ並べ、その周りを身分が低い若い女達が何十人と動き回り、凄まじい勢いで芋粥作りの準備をしている。

その様子を見ていた五位は、その巨大な釜の中で山の芋が芋粥になることを考えたが、考えれば考えるほど食欲がなくなってしまった

それから1時間後、五位が利仁や舅の有仁と共に朝飯の膳に向かうと、目の前には1斗(18リットル)ほど入る銀の提(ひさげ・小鍋型の容器)に、なみなみと入れられた恐るべき芋粥があった。それを目の当たりにした時、五位は口をつけることなく満腹感を感じた。

「どうぞ遠慮なく召し上がってくだされ。」という有仁の勧めに対し、五位は大きな土器(かわらけ)に芋粥をすくって、目をつぶっていやいや飲み干した。「遠慮は無用じゃ。」と今度は利仁も意地悪く笑って勧めてくる。厚意を無にするわけにもいかず弱った五位は、また我慢して目をつぶって飲み干した。それに対し有仁はさらに芋粥を勧める。もう一口も飲めない五位は「なんともかたじけのうござった。十分いただきました。」と辞退の意を示した。

その時、朝日が差すのと同時にあの狐が現れたため、利仁は男どもに命じて狐にも芋粥を振る舞った。

芋粥に飽きたいという願望を一人大事に守ってきた五位は、もうこの先芋粥を飲まずにすむという安心を得た。

スポンサードリンク

 

感想!

人間の普遍的な心理を捉えた作品だけど…

今昔物語集」の原作と芥川の「芋粥」を読み比べてみると、話の展開は基本的には同じなのですが、「芋粥」には確かに原作にはない「欲望は達せられないうちに価値があるのであって、達してしまうと幻滅する」といった現代的な心理描写が見事に描き出されています。

特に、食事の前の晩に大掛かりな芋粥の準備を悟って「こんなに容易に芋粥を飽きるほど食べることができてしまっていいのだろうか。」と願望が実現することに対する謎の葛藤を始めるあたりに、現代的なリアリティを感じます。

そしてそれを強烈に浮かび上がらせるためには「芋粥」しか生きがいのない人物を描く必要があって、そのために五位をここまでなんの取り柄のないダメ男に描き直したのかもしれない、と感じました。

いずれにせよこれは、誰もが共感できる人間の普遍的な心理を捉えた作品、と言えると思います。

この古典に題材にとり、そこにいつの時代の誰もがも共感できる普遍的なテーマや脚色を加えていく手法は、既に手掛けていた「羅生門」や「」にも採用されており、芥川の得意技となっていました。

面白い方法を考えついたものですね。

 

ただこの作品については、正直不自然に感じるところもあります。

ここまで誰からも蔑まれて何の取り柄もない人間を、「芋粥を飽きるほど食べたがっている」といった理由だけで、武勇の誉れ高くひとかどの人物である利仁が、近所中から山芋を集めて屋敷総出で本当に接待するのでしょうか

いや、するわけないでしょう
こんなに手間暇かけて利仁さんに何のメリットがあるの?

原作では、五位は藤原基経に長く仕え世間から認められた人物であり、接待にはそのご褒美的な意味合いもあったようです。この小説は、主人公・五位の人物設定と心理描写以外は、原作にほとんど手を加えていないようですが、正直話の展開に無理がある、と感じました。

芥川さん、古典に現代的な心理描写を描くことに夢中になりすぎて、肝心なところがちょっと抜けてないかな?

あなたはどう思われましたか?

スポンサードリンク

 

五位さんの正体って地獄変のあの人?

この「芋粥(いもがゆ)」に登場する五位(ごい)は平安時代前期の摂政藤原基経(もとつね・836−891年)に仕えていた、ということになっていますが、実は芥川の他の小説に、全く同じ時代の同じ人物(基経)にお仕えした者を物語進行の語り手とした小説があります。

それが「地獄変(じごくへん)」。

地獄変」は、容姿醜怪で世間から嫌われている天才絵仏師良秀(よしひで)が、基経の依頼の元に地獄の様子を描写する「地獄変の屏風」の制作にかかる。しかし自分の目で見たものしか書けない良秀は、実際に牛車を燃やして欲しいと頼むと、基経は牛車だけでなく良秀の娘まで燃やしてしまう。それを目に焼き付けた良秀は、最高の「地獄変の屏風」を完成させ、直後に自殺する、というお話。

「地獄変」の物語の進行役(語り手)はこの基経に仕える人物で、基経は自分の思いに応えない良秀の娘を焼き殺すという相当な悪役として描かれています。藤原基経は、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇陀天皇の4代に渡り実権を握った権力者で、3代続けて天皇の外祖父を務めた藤原道長(みちなが・966−1028年)のひいひい爺さんにあたります。

「地獄変」が描かれるのは1918年で、「芋粥」(1916年)の2年後になりますが、「芋粥」で既に基経とこの時代を扱っており描きやすかったからこそ、「地獄変」でも似た設定にしたのかもしれませんね。ちなみに「地獄変」の絵仏師良秀も容姿醜怪でみんなから嫌われていました。

 

この「芋粥」の五位も基経に長年仕えたことになっていますが、「地獄変」の語り手も基経に20年程仕えたと言っています。

だとしたらこの二人、面識ある可能性が高いですよね

というかもしかして同一人物なの

「芋粥」で芋粥を渇望していた絶望的に悲惨なこの五位が、「地獄変」の進行役だったってこと?五位さん基経邸でナレーションの仕事もしていたってことなのかなぁ……?

ちなみにどちらも最後まで名前が出てきません。

あなたはどう思われましたか?

「地獄変」のあらすじも書いてみましたので、興味のある方は読んでみてください。
「地獄変」のあらすじを読んでみる

それでは。

 

他の芥川の名作についても書いてみましたので、お時間があったら読んでみてください。
 
それとも他の本を読んでみる?

 

スポンサードリンク