【20分で神曲】あらすじ・内容・感想【ダンテ】

西暦2000年にタイムズ紙が、
 
 
文芸評論家に対して
 
 
「過去1,000年間の最高傑作は何か」
 
 
という調査を行いました。
 
 
 
そこで多くの文芸評論家に最高傑作と認められたのが、
 
 
ダンテ・アリギエーリの「神曲」です。
 
 
 
日本では少しなじみは薄いですが、
 
 
キリスト教の有名な古典として知られる世界的な名著です。
 
 
ルネサンス芸術に与えた影響がとても大きく、多くの芸術家の発想源となった本でも有名ですよね。
 
 
しかしとても難解な上に、キリスト教の宗教色が強いため、日本人にとっては非常に難しい本とも言われています。
 
 
 
この「神曲」とは一体どんな本なのか、ここではそのあらすじや内容、見どころなども含めてご紹介します。
 
 
なお、お急ぎの方は、あらすじから読んでいただいても大丈夫ですよ。
 
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目次

概要

神曲・地獄変・煉獄編・天国編・河出文庫

ざっくりと解説  神曲ってどんな本?

「神曲」はダンテが見た死後の世界の話。
 
 
西暦1300年にダンテが生きたまま地獄へ迷い込むという形で物語が始まります。
 
 
ダンテは古代のラテン詩人ウェルギリウスや、生前想いを寄せていたヴェアトリーチェの案内のもとに、
 
 
地獄、煉獄(れんごく)、天国を約1週間かけて旅をします。
 
 
 
そこでダンテは歴史上の様々な人物(主に聖書やギリシャ神話の登場人物です)の死後の姿を目の当たりにします。
 
 
そしてダンテが見てきた人間の死後の世界を、詩として描いたものが「神曲」です。
 
 
ダンテは、聖書の外典である「ペテロの黙示録」を参考にしながら、多くの神々が登場するギリシャ神話の冥界の話と、
 
 
一神教のキリスト教聖書の死後の世界を、少し強引に織り交ぜて独自の地獄を描いたようです。
 
 

そもそもどんな意味のタイトルなの?

神曲」の元のイタリア語のタイトルは「la divina commedia」。
 
 
イタリア語はほぼローマ字読みなのですが、各単語にはアクセントと呼ばれる箇所があり、そこを長く発音するというルールが存在するため、日本語で発音すると「ラ・ディヴィーナ・コンメーディア」となります。
 
 
日本では「神曲」と訳されていますが、「laは定冠詞」、「divinaは神の」、「commediaは喜劇」の意味で、直訳すると「神の喜劇」になります。
 
 
 
正確に言うとダンテ自身は単に「commedia 喜劇」と呼んでおり、後世の人が「divina 神の」を付けたみたいなのですが、
 
 
最終的に天国の至高天まで昇りつるハッピーエンドとなるため、「commedia 喜劇」というタイトルにしたようです。
 
 
 

登場人物

ダンテアリギエーリ(1265年〜1321年)

ダンテ・アリギエーリの像

1265年フィレンツェ市で金融業営む貴族の子として生まれ、修道士として育てられます。特に詩人としての才能が天才的で、後にシェイクスピアと並ぶ世界の2大詩人とまで言われるようになります。また同時に、フィレンツェの国務大臣などの要職を担当するほどの政治家でもあり、当時としてはかなり高い教養を身に付けた人でもありました。1302年に政変に巻き込まれ、祖国を永久追放。以後生涯にわたり放浪生活を送ることになります。この「神曲」はその放浪生活の中、1304年頃から1321年に亡くなるまでの間に、執筆されたと言われています。そんな経緯もあって、自分の政敵批判、政治批判が多いのもこの神曲の特徴の1つです。
 
 

ベアトリーチェ(1265年〜1290年)

ダンテが幼少の頃から心惹かれていた永遠の淑女。24歳の若さでなくなってしまい、ダンテはひどく嘆き悲しみました。神曲の中では天国の住人として登場し、地獄に迷い込むダンテに対して、案内人としてヴェルギリウスを遣わせます。そして天国篇では自らが先達となって、ダンテを天国に案内します。
 
 

ヴェルギリウス(紀元前70年から紀元前19年)

「アイネイアス」という有名な叙事詩を残した、実在の古代ローマのラテン詩人。イエス以前に亡くなっているため、天国へは行けず、地獄の周辺で亡霊となってさまよっています。ダンテが心酔する詩人で、ベアトリーチェの依頼により、ダンテを地獄、煉獄へと案内します。何でも知ってる頼れる兄貴的な存在です。
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押さえておきたい基礎知識

中世の世界観、神曲の死後の世界観

神曲を理解するためには
 
 
まずこの当時の人たちがどんな世界観を持っていたのか、
 
 
そしてキリスト教の死後の世界観とはそもそもどんなものなのか、
 
 
これらについて理解する必要があります。
 
 
少し複雑なので、ここでその特徴を整理してみたいと思います。
 (お急ぎの方は、あらすじから読んでいただいても大丈夫ですよ。)
 

● ダンテの時代(西暦1300年)、既に地球が丸い事は分かってます。

しかし基本的に天動説であり、地球の周りを太陽や星が回っています。
プトレマイオスの宇宙観に近いと言われます。

● 地獄は地下世界に存在します。

すり鉢状の巨大なアリ地獄のような形を想像してみて下さい。
その蟻地獄を地球内部に降りていき、地球の中心を経由して南半球へと至るルートが地獄となっている。そんな感じに思ってください。

●地獄の概念はギリシャ神話の冥界のイメージ。

ダンテの描く地獄には、アケロンステュクスなどといった川や地名が登場します。
これらはギリシャ神話の冥界に登場するものです。
地獄が地下世界に存在するという考えも、ギリシャ神話の発想によるものです。
ダンテは、聖書の外典「ペトロの黙示録」を参考に、キリスト教とギリシャ神話を、ちょっと強引に織り交ぜているようです。

●地球の中心には巨大な堕天使ルシフェロが存在する。

そこではイエスを裏切ったユダなどの最悪の罪人が、最悪の罰を受けています。
地獄と悪魔

● ダンテは生きたまま、キリスト教の死後の世界を旅するという設定です。

 

● キリスト教を信仰していない人は全員地獄行きです。

異教徒や無神論者は地獄行きです。
 地獄の様子

● キリスト以前に亡くなった人は洗礼を受けていないため、地獄行きか、もしくは地獄の周辺で魂がうろうろしています。

彼らは天国に行くことはできないもよう。
案内人のウェルギリウスもそのタイプの魂のようです。
 

● 登場人物の多くは、聖書やギリシャ神話の登場人物、歴史上の有名な人物、ダンテに関連のある人物となってます。

 

● 地獄に落ちた人は永遠の罰を受けることになり、そこから逃れることができません。

 地獄の罰

● 南半球への出口には島があり、そこが煉獄(れんごく)となってます。

当時南半球は煉獄のある島以外は、海しかないと考えられていたようです。
つまり煉獄とは、南半球に存在する絶海の孤島だと思っていただいていいと思います。
 

● 煉獄とは比較的罪の軽い人が行くところです。

そこで時間をかけて罪を贖うことにより、やがて天国へ行けるようになります。
 

● 煉獄へ行った人に対して現世の人々が祈りを捧げることによって、より早く天国へ行くことができるという設定です。

そのため煉獄篇では亡くなった魂たちが、ダンテに対して「自分の家族に祈るよう伝えてくれ」とお願いにやってきます。
 

● 聖書には煉獄の記載がありません。

煉獄(れんごく)はカトリックの考えにより生み出された世界とも言われてます。
プロテスタントはその存在を認めてません。
聖書

● 煉獄の山頂の頂から天国へ入ります。

天国は宇宙にあり、ここからは宇宙を旅することになります。
月、火星、木星、土星等を旅します。

● 天国へ行く方法は2つあります。

生前に罪を犯さないこと、
もしくは軽微な罪で煉獄へ行きそこで罪を贖うことです。
 
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あらすじ

 

地獄篇(Inferno インフェールノ)

神曲地獄篇・河出文庫

内容

西暦1300年の聖金曜日(4月の初め頃)、35歳のダンテが生きたまま地獄に迷い込むところから物語が始まります。
 
 
ダンテの心酔する古代ローマのラテン詩人、ウェルギリウスの案内のもと、死者の世界であるすり鉢状の「地獄」へと、地下世界の深く降っていきます。
 
 
そこにはギリシャ神話や聖書の登場人物、さらには歴史上の人物の死後の様子(地獄で永遠の罰を受けている様子)が、次々と描かれていきます。
 
 
その中で有名な人物を少しご紹介します。
 
 
トロイア戦争の引き金になったと言われ、肉欲の罪を犯した「ヘレナ」と「パリス」。
 
恋ゆえに死地に赴いたと言われる「アキレウス」。
 
淫婦「クレオパトラ」。
 
彼らは肉欲の罪で荒れ狂う暴風に吹き流されています。
 
 
 
トロイの木馬で権謀術策の罪を犯した「オデッセウス」は火あぶりに。
 
 
 
キリスト教を分裂させたとされる、イスラム教の預言者「ムハンマド」と、その娘婿の「アリー」は全身を切り裂かれ、はらわたが飛び出している。
 
 
 
地獄の最下層では
イエスを裏切った「イスカリオテのユダ」、
カエサルを裏切った「ブルータス」と「カッシウス」が、
堕天使ルシフェロに、永遠に嚙み砕かれ続ける最大級の罰を受けています。
 
これ以外にも本当に多くの人物が、地獄で罰を受けています。
 
 
 一方で地獄にもともと住み着いている生物なども登場しますが、多くはギリシャ神話の冥界の人物や怪物などが、そのまま現れます。
 
 
地獄・冥界のカロンとケルベロス
 
裁判官ミノス、橋渡し役カロン、地獄の番犬ケルベロスなどは、ギリシャ神話の冥界での役割のまま登場します。
 
ケンタウロスのケイロン、怪物ゲリュオン、ミノタウロスなどの生き物も登場します。
 
 
ギリシャ神話を知っていれば、面白く読むことができると思いますが、それでも大半は聞いたことがない人物ばかりになると思います。
 
 
〈ギリシャ神話の冥界の話〉
ギリシャ神話では、冥界は死者が死後に行く地下世界とされていますが、善行や悪行に関係なく、基本的に全員冥界へ行くことになります。神々に愛された一部の英雄だけが、死後おだやかな「エリュシオンの野」に招かれ、神々を冒とくして怒りを買った重罪人だけが冥界において永遠の罰を受け続けるとされています。
 
 
 
 
ロート状の地獄は地球の中心まで届いており、「淫乱」「貪欲」「暴力」など罪に応じて、死者の行き先が振り分けられます。
 
 
上層部ほど罪が軽く、地中奥深くへ行くほど罪は重くなります。
 
 
そして地獄の一番奥底で、かつ地球の中心に当たるところに、悪魔大王ルシフェロが陣取るという構図になっています。
 
 
その悪魔大王ルシフェロにしがみついて、地球の中心を通り抜けたところで地獄篇は終了。
 

悪魔・サタン

 
 

地獄の構造

こちらの動画(世界ミステリーch)で時獄篇を詳しく解説しています。具体的な地獄の紹介は1分30秒から。
 
地獄の門  
地獄前域  前も悪もなさなかったものが過ごす場所
アケロン川  カロンが橋渡し役を担当
第一の圈谷  辺獄(リンボ)  洗礼を受けなかったものが過ごす場所
第二の圈谷  愛欲者の地獄肉欲の罪を犯した者が暴風に吹き流される
第三の圈谷  貪食者の地獄  大食いの罪を犯した者たちへの罰
第四の圈谷  貪欲者の地獄  金をため込んだ者と使いすぎた者が、重い金貨の袋を転がし続ける
第五の圈谷  憤怒者の地獄  怒り狂った者たちへの罰
ディース市  堕落した天使と重罪人が入れられる環状の城塞
第六の圈谷  異端者の地獄 異端の者が火焔のの墓孔に葬られる
第七の圈谷  暴力者の地獄  暴力を振った者への罰
第八の圈谷  悪意者の地獄  欺瞞の罪を働いたものが、罪に応じて十の悪の濠(マレボルジェ)に振り分けられる
第九の圈谷  裏切り者の地獄  最も重い罪とされ、永遠に氷漬けになる
 
 
 

煉獄篇(Purgatorio プルガトーリオ)

内容

 
煉獄(れんごく)は、地獄を地下深く降りていき、地球の中心を通り抜け、地球の反対側に出たところになります。
 
 
場所はエルサレムから見て地球のちょうど反対側の南半球の小島。
 
 
生前、比較的罪の軽かったものが、煉獄へ振り分けられます。
 
 
死後、煉獄へまわされれたものは、ここで一定期間罪を清めることにより、天国へ行くことができるという設定です。
 
 
 
煉獄は山になっており、罪を清めるごとに上に登ることができ、山頂まで到達し罪が清め終えると、天国に到達することができます。
 
 
 
 
ここでの案内人もウェルギリウス。
 
 
ダンテは額に7つのP(7つの罪の意味)を刻まれ、煉獄山の頂を目指します。
 
 
そして煉獄山を登るごとに罪が清められ、額のPが消えていきます。
 
 
その過程でダンテは様々な歴史上の人物と語り合うことになります。
 
 
煉獄へ行った人に対して、現世の人々が祈りを捧げることによって、より早く天国へ行くことができるという設定になっています。
 
 
そのため煉獄篇では亡くなった魂たちが、ダンテに対して「自分の家族に祈るよう伝えてくれ」とお願いにやってきます。
 
 
実は煉獄山の頂きというのは地上の楽園のことで、かつてアダムとエバがりんご食べて追放された場所になります。
 

煉獄・アダムとエバ

 
ウェルギリウスはイエス以前に亡くなっており、洗礼を受けていないため天国には入れません。
 
 
ダンテはヴェルギリウスと別れ、ベアトリーチェに導かれて天国に入ります。
 
 

天国と地獄の分かれ目

 
 

煉獄の構造

こちらは煉獄を解説した動画になりますが、神曲における煉獄のあらすじではありません。煉獄は聖書には直接的な記述はなく、存在を認めているのはキリスト教カトリックのみになります。煉獄はアウグスティヌスによって明確化され、13世紀に正式に定義されたと言われています。動画では煉獄での救済は「聖母マリア」が行うと解説していますが、神曲において「マリア」が登場するのは天国編の最後のみになります。
 
 
煉獄の浜辺  
煉獄前地  生前悔悟が遅かったものが待つ
煉獄の門(ペテロの門) 煉獄山の入り口
第一の環道  高慢の罪を清める
第二の環道  嫉妬の罪を清める
第三の環道  怒りの罪を清める
第四の環道  怠惰の罪を清める
第五の環道  貪欲の罪を清める
第六の環道  大食の罪を清める
第七の環道  色欲の罪を清める
地上の楽園  
  
七つの環道は七つの大罪に相応しています。
 
 
 
 

天国編(Paradiso パラディーゾ)

天国への扉

内容

 
ダンテはベアトリーチェの案内のもと、煉獄の頂きから天国のある宇宙へ昇ります。
 
 
西暦1300年当時は天動説なので、地球の周りを太陽や星が回っているという設定になります。
 
 
ダンテは天国を十天の階層に分けました。
 
 
地球の周りを回る火星天や木星天といった「諸遊星天」(月光天から土星天)の上に、十二宮が置かれる「恒星天」と、万物の動力の根源である「原動天」を、さらにその上には神の住む「至高天」を構想します。
 
 
 
 
ダンテは各星天で歴史上の人物と語り合い、天国の上層階を目指します。
 
 
そして最上階層の至高天まで上り詰め、ついに聖母マリアや神の姿を目の当たりにします。
神イエス
 
そこでダンテは太陽や月を動かすのは愛。神は愛であり、その愛を持ってこの世動かしていることを知りました。
 
 
なお、ダンテが地獄に迷い込んでから、この天国の旅を終えるまでの期間は、約1週間ほどになるそうです。
 
 
 
 
 

天国の構造

 
第一天  月光天  天国の最下層
第二天  水星天  現世の野心や名声の執着が断ち切れなかった者が住む
第三天  金星天  激しい愛の情熱に生きた者が住む
第四天  太陽天  知恵深い魂が住む
第五天  火星天  キリスト教の名の下に戦った戦士たちが住む
第六天  木星天  名声と正義のある統治者が住む
第七天  土星天  信仰一筋に生きた者が住む
第八天  恒星天  ペテロなどの聖人が住む
第九天  原動天  万物を動かす力の根源
第十天  至高天  神が住む場所
 
 
 こちらは神曲の世界を動画で説明したものになります。日本語ではありませんが、ここまで読み進めた方であれば、雰囲気は掴んでいただけるのではないかと思います。
 

投稿者:La Divina Commedia in HD 

 

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神曲の特徴と難しい理由

 

構成とボリューム

神曲・河出文庫
神曲は小説ではなく詩です。
 
 
地獄篇34歌、煉獄篇33歌、天国篇33歌、合計100歌で構成されてます
 
 
1歌あたりは3行単位の百数十行の詩で構成されており、1行あたり平均20字程(日本語で)の文章からなります。
 
 
100歌全体では14233行にもなります。
 
 
 
 
実際、文章の量自体はそこまで多いわけではないのですが、
 
 
解説、訳注を頻繁にチェックしながら読み進めなければならないため、
 
 
ボリュームの割にかなり時間と労力を必要とされます。
 
 
普通の読書スピードの人が、仮に1日中読書した場合、全部読み通すのに丸4日ほどかかることになると思います。
 
 
 
 

「3」を基調とした聖なる構成

「神曲」は長編叙事詩というものに分類されます。
 
 
3行単位で構成され、すべての文章で韻を踏んでる。
 
 
という形をとっています。
 
 
 
 
キリスト教では「三位一体」というだけあって、この「3」という数字が聖なる数とされます。
 
 
3行、33歌、3部構成と、「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、「神曲」はゴシックの大聖堂に例えられます。
ゴシックの大聖堂
 
残念ながら日本語に訳してしまうと、ダンテが推敲を重ねた韻は、跡形もなく消えてしまっています。
 
 
こればかりは仕方ないですよね。
 
 
 
 
また、ダンテは神曲を知識階級の言語であるラテン語ではなく、当時のイタリア人の言葉であるトスカーナ方言で書きました。
 
 
これはダンテが少しでも字の読めるイタリア人に読んでもらいたくて、トスカーナ方言を使ったそうですが、これが今のイタリア語の元になりました。
 
 
ダンテがいたからこそ、イタリア語が生まれたと言われています。
 
 
 
 
 

神曲は難しい

神曲は日本人には非常に難しいと言われます。
 
 
それはまず「神曲」が「ギリシャ神話」と「キリスト教聖書」の死後の世界の話であり、日本人にはほぼ馴染みがないこと。
 
 
そして登場人物のほとんどが聞いたことがない人であること。
 
 
というのが大きな要因になると思います。
 
 
 
 
特に登場人物は本当に厳しいです。
 
 
聖書やギリシャ神話の登場人物、ダンテ以前の歴史上の人物などが次々と登場します。
 
 
さらににはダンテの親族とか友人、
 
 
しまいにはその妹とか出てきます。
 
 
「それだれだよ∑(゚Д゚)!」
 
 
とツッコミたくなるのは僕だけではないと思います。
 
 
 
 
神曲は前提となる知識がかなり必要で、非常に難しいです。
 
 
詳しい訳注がありますので、聖書やギリシャ神話を読んでおかなくても、訳注をしっかり読めば一応理解できるようにはなっています。
 
 
ただ、読んでおかないと、ちょっと厳しいかもしれないとも感じました。
 
 
聖書はボリュームがとても大きいので、全部を読み通すのは大変です。
 
 
 
創世記、福音書、ヨハネの黙示録だけでも目を通しておくと、少し理解しやすくなると思います。
 
 
時間に余裕のある方はチャレンジしてみて下さい。
 
 
こちらに聖書やクルアーンの中身を解説したページを作っておきましたので、よろしければご覧になってみてください。
旧約聖書の内容を確認してみる
新約聖書の内容を確認してみる
クルアーンの内容を確認してみる
 
<聖書>
 
 
<ギリシャ神話はこちらがおすすめ>
「神曲」では特に地獄篇を中心に、ギリシャ神話の登場人物、生き物などが本当に多く登場します。特に地獄はギリシャ神話の冥界を参考に描かれているため、読んでおくとイメージしやすくなると思います。こちらの里中満智子さんの漫画がおすすめです。
 
 
 
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新曲の見どころ

ルネサンス芸術の発想源

西洋美術における芸術家の発想源は第一に「聖書」、そして第二に「神曲」と言われます。
 
 
特にルネサンスの芸術家たちに与えた影響は大きく、ダンテが「神曲」を書いて以降、多くの教会において天国と地獄の図が描かれるようになりました。
 
 
ミケランジェロの「最後の審判」が有名ですよね。
ミケランジェロの最後の審判
 
これは「神曲」の一節をそのまま描いたような構図になっています。
 
 
 
ロダンの「考える人」は神曲に登場する地獄の門の一部分を抜き出したもので、そのモデルはダンテとも言われています。
ロダンの考える人
 
その他多くの芸術家たちが、神曲の一場面を描く芸術作品を創作しました。
 
 
 
 
実は当時のヨーロッパは識字率が低く、文字を使ったキリスト教の布教が、難しい状況でした。
 
 
みんなラテン語読めないですからね。
 
 
そこで教会が注目したのが、聖書や神曲の一場面を描いた絵画などの芸術作品です。
 
 
教会がパトロンとなって、芸術性の高い宗教画を次々と生み出しました。(聖書の十戒には「偶像崇拝を禁ずる」とあります。神様の絵を描いたりするのは偶像崇拝になるので、本当はダメなんですよ宗教改革で生まれたプロテスタントでは宗教画を描きません。)
ミケランジェロ・システィーナ礼拝堂
 
識字率の低い当時のヨーロッパにおいては、このルネサンス美術が、布教活動として絶大な力を発揮しました。
 
 
その結果教会の権威は盤石となり、西洋では教会を中心とした歴史が、さらに続いていくことになります。
 
 
このように「神曲」は、その後の西洋の宗教や歴史、芸術の方向性を、大きく決定づけるような本になりました。
 
 
「ルネサンスは神曲から始まった」と言ってもいいような作品です。
 
 
西洋の宗教や歴史、芸術を理解するためには、ぜひ読んでおきたい本ですね!
 
 
 
<神曲>
 
 
<まんがで読破シリーズの神曲>
 こちらは「まんがで読破シリーズの神曲」。地獄篇だけで全体の2/3を使ってます。必ずしも忠実に描いているわけではありませんが、概ね雰囲気をつかむことができると思います。本編が非常に難しいので、事前に読んでおくといいと思います。こちらもおすすめです。
 
 
 
 

その他の見どころ

 

神曲はいろんな意味で注目点がいっぱいあります。

 
僕は平川祐弘(すけひろ)さんの訳を読みましたが、その中で特に気になった点をいくつかご紹介します。
 
 

①イスラム教の預言者ムハンマドが地獄で永遠の罰を受けてます。

 
めった切りにされ腸が飛び出している上、描かれ方が悪意に満ちています。
 
 
神曲のアラビヤ語版ではこの部分は削除されているようです。
 
 
平川さんも解説でおっしゃってましたが、これを最高傑作と呼び続けるのはやはり問題があるように感じます。
 
 

②ギュスターヴ・ドレさんの挿絵があまりにも肉体美。

芸術的な肉体美
ギュスターヴ・ドレさんは19世紀のフランスの挿絵画家。
 
 
とっても素敵な挿絵を描きます。
 
 
しかし何故かみんな、ため息が出るような芸術的な肉体美。
 
 
はっきり言ってプロのアスリートなみ。
 
 
みんなあの世でどんなハードなトレーニングをやってるんだろう…
 
 
 

③「神曲は大嘘」

平川訳で一番驚いたのが、
 
 
解説において訳者の平川さんが
 
 
「ダンテが地獄を見たというのは大嘘だ。」
 
 
とバッサリ切り捨て全否定するところ。
 
 
長々と訳をしておきながら、訳者自らのまさかのちゃぶ台返しにビックリ仰天です。
 
 
 
 

④キリスト教の地獄にギリシャ神話の神々が登場するのはちょっと…

混沌
旧約聖書によると、この世界は神ヤハウェの創造によって作られたとされています。
 
 
一方ギリシャ神話よると、世界の最初はカオス(混沌)だったとされ、やがてそこからタルタロス・エレボス・ニュクス・エロス・ガイアの5柱の神々が生まれます。そしてその後に誕生する神々は全て彼らの子孫であって、系譜がつながっています。
 
 
つまり聖書ギリシャ神話は、そもそも世界の始まりが全く異なり、本来交わるはずのない世界のはずです。
 
 
ところが神曲を読んでみると、キリスト教の死後の世界の話なのに、ギリシャ神話の神々が普通に登場してしまっています。
 
 
地獄編に復讐の女神エリニュス、アレクト・ティシポネ・メガイラ、さらには財宝の神プルートなどが登場しますが、彼らはギリシャ神話の神々の系譜を持った神様です。
 
 
キリスト教の死後の世界に登場するのは、いくらなんでもムリがあるのでは…
 
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感想

神曲の世界観がちょっとひどい

多くの日本人は神曲を読んで、おそらく好きにはなれないのではないかと思います。
 
 
まずその世界観がちょっとひどい。
 
 
キリスト教にあらずんば人にあらず」の世界観です。
 
 
基本的にキリスト教を信仰していない人は、自動的に全員地獄行きです。
 
 
イスラム教徒も仏教徒も無神論者も、みんな地獄行きです。
 
 
そして一度地獄に入った人間は、二度とそこから出ることができません。
 
 
多くの日本人は天国へ行くことは難しいでしょう。
 
 
 
もう一つ僕が感じた事は、ダンテの正義はあまりにも自己中心的。
 
 
神曲では多くの歴史上の人物の、死後の様子が描かれています。
 
 
ですがその裁き方が、身勝手でちょっとひどい。
 
 
「これは結局ダンテが歴史上の人物を好き放題さばいているだけなのでは…?」
 
 
という気持ちを拭い去ることができませんでした。
 
 
 
 
さらにダンテは「帝政論」という本において
 
「人類には普遍的な世界国家が必要であり、その君主にはローマ民族がなるべきだ」
 
という考えを主張をしている人物でもあります。
 
 
 
ダンテの正義はあまりにも自己中心的すぎるように感じました。
 
 
 
 
 
 

ダンテは本当にみんなのために書いたのか?

訳者の平川祐弘さんは、解説において
 
 
ダンテが地獄を見たというのは大嘘だ。
 
 
と身も蓋もない発言をしています。
 
 
 
生きたまま地球の中心を通って、地球の反対に突き抜け、さらには宇宙に登っていくという話。
 
 
21世紀の現在となっては、改めて議論する話でもないと思います。
 
 
 
 
僕自身もここに書かれていることが、事実かウソかなんてどっちでもいいと思ってます。
 
 
もっと言うと、ダンテが本当に神を信じていたか否かでさえも、どちらでもいいです。
 
 
 
 
重要なことは何のためにこれを書いたのか、ということです。
 
 
ダンテは本当に
 
 
「みんなを助けたい」
 
 
「苦しみから逃れる方法を示してあげたい」
 
 
そんな動機を持って書いたのでしょうか。
 
 
 
 
 神の子イエス
聖書ではイエスが数々の奇跡を行っています。
 
 
そこに書かれていることが、うそかほんとかなんて、僕はどちらでもいいです。
 
 
 
 
僕が聖書を読んで感じたのは、
 
 
「少なくともイエスは、本気で人々を救おうとしている
 
苦しみから解放してあげようと、必死に知恵を絞ってる」
 
 
といったことです。
 
 
 
 
もしかしたらそこには嘘があったかもしれない。
 
 
あるいはイエスに気を遣って、周りの人が何か細工をしてしまったかもしれない。
 
 
でもそれでもいいと思っています。
 
 
少なくともイエスの真剣さと誠実さが、本物だということは伝わりました。。
 
 
神を信じていなくても、みんなを救いたい想いが本物でありさえすれば、例えウソがあっても僕は構いません。
 
 
 
 
 
 
 
天皇陛下はどうでしょうか。
 
 
神道のトップとして、国家安寧と国民の幸せを祈っています。
 
 
しかも2000年もの間、連綿と続けています。
 
 
 
 
天皇陛下は神様を信じておられるのでしょうか。
 
 
僕はそれもどちらでもいいです。
 
 
大事なことは本当にみんなの為を思って、祈ってくれているかどうか、だと思っています。
 
 
 
 
僕は、天皇陛下の誠実な気持ちを感じることができます。
 
 
本当にみんなのために祈ってくれている、と感じます。
 
 
そしてそれを感じることができたとき、僕はちょっと暖かくて幸せな気持ちになります。
 
 
 
神の世界なんてないかもしれない、それも承知の上で、国民の幸せを願ってくれる天皇陛下の祈りが、僕はうれしいです。
 
 
 
僕はイエスも天皇陛下も好きです。
 
 
 
 
 ダンテ・アリギエーリの像
ところがダンテには、どうしてもそういったものが見えませんでした。
 
 
神を信じているかいないかの問題ではないんです。
 
 
 
 
多くの人に読んでもらいたい、と言う気持ちは伝わってきたけれども、多くの人を助けたいという気持ちは、正直あまり感じられませんでした。
 
 
むしろ、自分の正義を主張したい気持ちを、強く感じてしいました。
 
 
 
 
政争に敗れ、祖国を追放された不幸な経歴が、彼をそうさせてしまったのかもしれませんが、
 
 
僕はこのダンテという人を、好きにはなれませんでした。
 
 
 
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