最後の晩餐と12使徒
イエスや聖母マリアの絵画は、本当は描いてはいけなかったってご存知ですか?
 
 
 
レオナルドダビンチの「最後の晩餐(↑)」「岩窟の聖母」
 
 
 
ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂」
 
 
 
そして「聖母マリア像」
 
 
 
 
 
こういった芸術作品、実は全て描いてはいけなかったんです。
 
 
 
その理由は聖書において「偶像崇拝」が禁止されているから。
 
 
 
では描いてはいけないものが、なぜ堂々と描かれているのでしょうか。
 
 
 
一体いつから、この「偶像崇拝禁止」が破られるようになってしまったのでしょうか。
 
 
 
 
 
ここでは聖書が偶像崇拝を禁じているにもかかわらず、なぜカトリックが宗教画を描いてしまっているのか。
 
 
 
その理由と経緯、その後に起こった宗教改革についてご紹介します。
 
 
 
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そもそも旧約聖書にはなんて書いてあるの?

聖書
「旧約聖書出エジプト記の十戒」にはこのように記述されています。
 
1 あなたには、私を置いて外に神があってはならない。
2 あなたはいかなる像も作ってはならない。
3 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
5 あなたの父母を敬え。
6 殺してはならない
7 姦淫してはならない。
8 盗んではならない。
9 隣人に関して偽証してはならない。
10 隣人の家を欲してはならない。
 
 
 
宗教画などで問題になっているのは
 
 
2の「あなたはいかなる像も作ってはならない」です。
 
 
 
これが「偶像崇拝の禁止」とされています。
 
 
 
一般的に「像」というのは崇める対象であり、これには「絵画など」も含まれるとされています。
 
 
 
確かにこれを言葉通りに受け取ると、宗教画を描くのはちょっとまずいように感じます。
 
 
 
事実として、同じ旧約聖書を聖典とするユダヤ教では、宗教画を描く事はありません。
 
 
 
 
 
この十戒というのは、あくまで預言者モーセを通じて、神ヤハヴェとユダヤ民族との間で結ばれた契約とされます。
 
 
 
しかしキリスト教の神も同一の神様であり、キリスト教徒もこの十戒を守らなくてはならないとされています。
 
 
 
確かにキリスト教徒も、原則として偶像崇拝はしてはいけないようです。
 
 
 
※なお、宗教で偶像崇拝を禁止する理由は、偶像を認めることによって、信仰の対象が本来の神ではなく像に移ってしまうからとも、勝手に新たな神を生み出してしまうからとも言われています。
 
※イスラム教ではコーランにおいて別個に偶像崇拝が禁止されています。
 
 
 
 
 
 
 
 

キリスト教初期は宗教画は描かれなかった

 イエス・イクシス・魚
実はキリスト教初期においては、「イエス」が描かれる事はほとんどありませんでした。
 
 
 
理由は十戒において、偶像崇拝が禁じられていたためです。
 
 
 
初期キリスト教美術においてはイエスの姿を描く代わりに、救い主イエス」の頭文字と同じ綴りとなる「」の絵で代用したりするシンボルが多用されました。
 
 
 
上の画像の「ΙΧΘΥΣ」(イクシス)は、ギリシャ語で「魚」の意味になりますが、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもあります。
 
 
 
初期のキリスト教徒は、隠れシンボルとしてこのような簡単な魚の絵を描いたそうです。
 
 
 
 
 
要するにキリスト教初期においては、一応「偶像崇拝禁止」を守っていたわけです。
 
 
 
ローマ帝国でキリスト教が公認されるのは、313年のミラノ勅令になりますが、この偶像崇拝禁止の影響により、5世紀から10世紀位までの間は、ほとんど彫刻らしいものが作られない暗黒時代となりました。
 
 
 
 
 
 
 

絵画を描く目的は布教活動

そもそもなぜ「代わりのシンボル」を使ってまで、絵を描く必要があったのでしょうか。
 
 
 
これには当時のヨーロッパでの識字率が影響していたようです。
 
 
 
当時のヨーロッパは識字率がとても低く、一部の限られた人しか、字を読むことができませんでした。
 
 
 
聖書の原本はラテン語になりますが、西ローマ帝国滅亡後は、ラテン語が公用語として使われることもなくなります。
 
 
 
その結果、ラテン語で書かれた聖書を読むことができる人は、一部の知識階級と聖職者を除き、ほとんどいなくなってしまったそうです。
 
 
 
これではキリスト教の布教活動ができません。
 
 
 
字の読めない人たちに対して、布教活動をするためには、どうしても絵(宗教画)を描いて説明する必要があったようです。
 
 
 
 
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偶像崇拝の復活

 聖母マリアとイエス
一度は禁じられた偶像崇拝でしたが、8世紀になるとキリスト教内部において偶像崇拝の是非をめぐって激しく議論されるようになります。
 
 
 
そして787年、女帝イレーネによる第二回ニケーア公会議により、「偶像の復興」が認めらるようになりました。
 
 
 
これは「像そのものを信仰対象にしているのではなく、その背後にあるイエスの実態(イデア)を崇拝しているのだから問題ない」。
 
 
 
という理屈なのですが…
 
 
 
ちょっと苦しいですね。
 
 
 
布教活動のためにはどうしても偶像の力を借りたかったのでしょうか。
 
 
 
そしてこの「聖書の解釈の変更」が、本来禁止されているにもかかわらず、イエスの姿を描いた宗教画が、堂々と描かれるようになった最大の要因になります。
 
 
 
以後、現在に至るまでローマカトリックにおいては、「偶像崇拝禁止の掟」が連綿と破られ続けることになります。
 
 
 
 
 
さらに10世紀頃には、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の聖俗2重権力による、ヒエラルキーが確立します。
 
 
 
本来宗教というのは、無理矢理布教をして広めるものではありませんが、ヒエラルキーという組織を作ってしまうと、どうしても布教促進と勢力拡大の力学が働きます。
 
 
 
これはどんな組織にも当てはまります。
 
 
 
こうしてローマカトリック教会は、自らの布教促進と勢力拡大のため、莫大な費用を芸術の分野に投入していくことになります。
 
 
 
 
 
 
 

絵画の大原則 パトロンのない芸術作品は存在しない

 
近代以前の芸術作品には作る人買う人が必ずおり、その両者が揃わない限り芸術が生まれる事は基本的にありませんでした。
 
 
 
つまりパトロンのいない絵は描かれない目的のない芸術作品は作られることはない、ということになります。
 
 
 
ちょっと絵心ある人が、暇つぶしに絵画を描いてみて、それが後の世にに残る、といったようなことは、ごく一部の例外を除いて基本的にありえないと思っていただいていいと思います。
 
 
 
なお、パトロンというのは芸術活動にお金を払う人のことです。
 
 
 
中世ヨーロッパにおいては、ほとんどの絵画のパトロンを、キリスト教の教会が務めることになります。
 
 
 
お金を出す目的は、当然布教促進と教会の勢力拡大になります。
 
 
 
 
 
 
 

ルネサンスにより宗教画の黄金期を迎える

 ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂
14世紀になりルネサンスが起こると、教会がパトロンとなり、次々と芸術性の高い作品を作らせるようになります。
 
 
 
目的は、当然布教活動と教会の勢力拡大になります。
 
 
 
ダヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロなどの多くの万能人が活躍し、最後の晩餐やシスティーナ礼拝堂(上の絵です)など、現在にも残る多くの名作を残すことになりました。
 
 
 
こうして本来禁止されているはずの宗教画は、当たり前のように堂々と描かれていきます。
 
 
 
そして芸術性の高い宗教画により、教会は多くの信心深い信者を獲得します。
 
 
 
教会の権威はますます盤石となり、以後も教会を中心とした西洋の歴史が作られていくことになりました。
 
 
 
 
 
しかし、教会はラテン語を読める人が少ないことをいいことに、聖書の解釈を次々と都合のいいようにねじ曲げてしまいます。
 
 
 
「偶像崇拝」に始まり、教皇をトップとする「ヒエラルキーの構築」、聖書に記述のない「煉獄の設定」…
 
 
 
挙句の果てには教会の金集めのために、お金で罪を軽くできるという、「免罪符まで販売」してしまいます。
 
 
 
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ルターによる宗教改革

 マルティン・ルターの像
それに待ったをかけたのがルターでした。
 
 
 
1517年、ルターは矛盾だらけのローマ教会の行いに対して、宗教改革を起こします。
 
 
 
聖書にはこんなことは書いてない。
 
原点に帰るべきだと主張します。
 
 
<ルターの主な主張>
 
①聖書には教皇をトップとするヒエラルキーを作れとは書いてない。
②聖書には聖人を敬えとも、聖母マリアを敬えとも書いてない。
③聖書ではそもそも偶像崇拝を禁じているではないか。
④聖書には日ごろの行いによって死後の運命が変わるとは書いてない。
⑤聖書には免罪符で煉獄で身を清める期間を短縮できるとは書いてない。
 
 
こうして聖書本来の記述を重視するプロテスタントが生まれ、ローマカトリックと袂を分かつことになります。
 
 
 
 
 
 
 
 

偶像崇拝を止めたプロテスタントと偶像崇拝をを続けるカトリック

 フェルメールの真珠の耳飾りの女性
プロテスタントは、身勝手な解釈で次々に聖書の解釈を捻じ曲げるローマカトリックに対して、聖書の原点に帰ることを主張します。
 
 
 
プロテスタントでは、偶像崇拝もやめ、教皇を中心とするヒエラルキーを作ることもやめました。
 
 
 
その結果オランダなどのプロテスタント圏では、宗教画が描かれることがなくなります。
 
 
 
鎖国中の日本とも仲良くできたのは、宗教画を描かず布教活動もしなかったから、という理由が大きかったようです。
 
 
 
オランダではフェルメール(上の絵はフェルメールの真珠の耳飾りの女性)やレンブラント、デホーホに代表される風景画や静物画など、それまでのヨーロッパにはない独自の絵画文化が花開きました。
 
 
 
 
 
しかしカトリック圏においては、それ以後も宗教画の文化が続いていくことになります。
 
 
 
787年の第二回ニケーア公会議による「偶像崇拝の復活」は、途絶えることなく現在に至るまで連綿と続いています。
 
 
 
一度出来上がってしまった制度や解釈を変更するのは、相当難しいようですね。
 
 
 
 
 
 
 

まとめ

 イエス・キリスト
 
旧約聖書では確かに偶像崇拝を禁じています。
 
 
 
キリスト教も初期においては、確かにその教えを守っていました。
 
 
 
しかし787年の「第二回ニケーア公会議」により、カトリックでは聖書の解釈をねじ曲げて偶像崇拝を認めます。
 
 
 
そしてその「解釈の変更」によって、ルネサンス期の多くの宗教画が生み出されることになりました。
 
 
 
そして現在に至るまで、連綿と偶像崇拝が続けられることになります。
 
 
 
本来禁止されてるはずの宗教画が、カトリックにおいてのみ描かれるようになったのには、このような経緯がありました。
 
 
 
宗教の解釈というのは、一度変更してしまうと、自力で戻すのは相当難しいようです。
 
 
 
 
 
しかし、より多くの人を救済することが宗教の本来の目的なのであれば、原則に固執するのではなく、時代やニーズに応じて柔軟に「解釈」を変えることも、ときにはあってもいいのかもしれません。
 
 
 
個人的にはカトリックの、偶像崇拝を認めた「解釈の変更」は支持したいと思っています。
 
 
 
ステキな美術作品を、たくさん世に残してくれたのですから。
 
 
 
 
こちらで聖書のあらすじや内容について解説しています。聖書の全体像を把握してみたい方、これから読んでみようと思っておられる方におすすめです。
ルターの言うとおり、聖書には確かに「聖人を敬え」とも「ヒエラルキーを作れ」とも書かれていません。「煉獄」や「免罪符」についてはもちろんありません。一度ご自身の目で確かめてみると面白いと思いますよ。
 
ダンテの神曲についても解説していますのでこちらもどうぞ。
 
 
 
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