イスラム教徒は、豚を食べてはいけないというルールは有名ですよね。
これには理由があります。
実はユダヤ教徒も、豚を食べてはいけないというルールがあったのをご存知ですか。
実はユダヤ教も豚がダメなんです。
これにも理由があるんです。
その理由とは何なのか?
最初に結論を言ってしまえば、聖書とコーランに食べてはいけないと書いてあるから、ということになります。
…でも知りたいのはその先…ですよね。
どうして「聖書やコーランに食べてはいけないと書いてあるのか」ですよね。
そしてもしこのルールを破って食べてしまった場合、彼らはどうなってしまうのでしょうか。
ここでは、ユダヤ教とイスラム教ではなぜ豚肉を食べてはいけないのか、食べてしまった場合どうなるのか、
彼らが豚肉を食べたがらない「本当の理由」について、宗教の少し深いところまで掘り下げて解説してみたい思います。
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目次
ユダヤ教とイスラム教の違いをざっくり解説
豚の話をする前に、ユダヤ教とイスラム教の関係を簡単にご説明します。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも一神教になりますが、それぞれの神様は実は同じ神様を指しています。
ユダヤ教
ユダヤ教の旧約聖書では、モーセを通じてユダヤ人が神と契約を結びます(紀元前14世紀頃?)。
そしてユダヤ人こそが、神(ヤハヴェ)に選ばれた特別な民族であると考えるため、最終的に神に救われるのもユダヤ民族だけと考えます。
しかし、あくまでユダヤ人だけが救われる民族宗教であるため、世界中に広まる事はありませんでした。
キリスト教
これに対しユダヤ人のイエスは、神を信じるものは誰でも救われる、神の前ではすべての人が平等である、と説きました(紀元30年頃)。
後にこのイエスの言行録を記したものが新約聖書となり、キリスト教になります。
神(ユダヤ教のヤハヴェとイエス、そして精霊を合わせて三位一体という考えを取ります)を信じさえすれば誰でも救われるため、場所や民族を問わず世界中に広まり、世界宗教となりました。
イスラム教
イスラム教コーランでは、モーセやイエスがもたらしたメッセージは、それ自体は正しかった。
しかし、ユダヤ教徒もキリスト教徒も神の言うことを全く聞いていない、だからこそ預言者ムハンマドを通じて、最後の神(アッラー)の言葉を伝える(紀元610年頃)。
このような位置づけになります。
それぞれ神の呼び名は違いますが、原則として同じ神様、ユダヤ教でいうヤハヴェを指しています。
そもそも聖書にはなんて書いてあるの?
旧約聖書の記述
ユダヤ人の食物に関する規律は旧約聖書の「レビ記」というところに記されています。
「レビ記」というのは、主(神)がシナイ山において、モーセを通じてイスラエルの人々に示した戒律などを記してあり、刑罰や儀式の内容、掟、法などが記載されています。
ここにはユダヤ人の食物に関するルールも定められていますが、食べていいものと悪いものを、かなり細かく決められているのが特徴です。(コーランでは、基本的に食べてはいけないものは豚のみになります)
量が多いので一部だけご紹介しますね。
(レビ記11)「主はモーセとアロンにこう仰せになった。イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちであなたたちの食べて良い生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反芻するものである。従って反芻するだけか、あるいはひづめが別れただけの生き物は食べてはならない」
簡単に解説
「蹄が別れ、反芻するもの」というのは、牛や羊、鹿などが該当し、これらは食べて良いとされています。
逆にこれら以外の動物「反芻しないもの」は食べてはいけないとされています。
実は豚は「反芻しないもの」に含まれますが、この「反芻しない」というのは「草などの植物を主食としない」という意味合いになります。
草などの植物の主成分はセルロースであり、特殊な分解酵素を持つ、牛や鹿などの動物しか消化吸収することができません。
しかもセルロースの分解はとても大変であり、一度胃に飲み込んだ草を何度も口に戻してすりつぶすと言った「反芻」をしないと、牛や鹿であってもなかなか消化吸収をすることができません。
つまり「反芻するもの」というのは「草などの植物を主食とする動物」のこと。
草原さえあれば餌に困らない動物であり、人間にとって不要な草や植物を肉や牛乳に変えてくれる牛や羊などの動物達、という意味合いになります。
人間と食べ物がかぶらないため、家畜として飼育し、食料にしていいよ、ということになるようです。
逆に豚などの「反芻しないもの」は草などの食物繊維をを主食とせず、穀物などを食べるため、人間と食べ物が被ってしまいます。
ユダヤ人は砂漠の民であるため、限られた食料が家畜と競合してしまうことを、ひどく嫌っていたそうです。
このような理由で「反芻しない」ブタなどの動物は、家畜としては不適当であり、飼育して食べるべきではないとして、神の教えとして旧約聖書に刻まれたと考えられています。
ここで注意しておきたいのが、ユダヤ教の旧約聖書においては、このほかにも多くの食べ物のルールがあり、食べてはいけないものは決して豚に限った話ではないということです。
鱗のあるものは食べてよい。群れをなす昆虫はすべて汚らわしいが、イナゴ類は食べて良い。一定後ハウ爬虫類は全て食べてはならない。血を飲んではならない。死肉は食べてはならない。
といった具合に、聖書のレビ記には食べ物に関するルールが、このほかにも細かく決められています。
※なお、この「レビ記」のルールはあくまで神ヤハヴェとユダヤ民族の決め事であるため、キリスト教徒は守る必要がないとされています。キリスト教では特に食べ物に関する制限はありません。
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コーランにはなんて書いてあるの?
コーランの記述
コーランの第5章 食卓4節にはこのように書かれています。
第5章 食卓4節「汝らが食べてはならぬものは、死獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの…」
見ていただければわかるように、コーランでは旧約聖書とは異なり、「豚肉がダメ」とピンポイントで書いてあります。
死肉や血を食べてはいけないのは、ユダヤ教と同じになりますが、基本的には豚肉以外は制限はありません(あと酒もダメです)。
イスラム教は豚肉だけ食べてはいけないことになっています。
ただし、殺すときのルールがあって、アッラーの名前を唱えて清めたものでないと食べてはいけないことになっています。
ユダヤ教は「反芻するもの全て」ダメ!イスラム教は「豚」だけだめ!これはなぜ?
コーランにはなぜ豚を食べてはいけないのか、その理由は一切書かれていません。
しかし「なぜイスラム教徒よりユダヤ教徒の方が、食べてはいけないものが多いのか?」
コーランにはその理由がバッチリ書いてあります。
第6章 家畜147節「だがユダヤ教の人々には、爪牙(そうが)をもつ動物は一切御法度にしておいた。…これは、彼ら(ユダヤ人)が不遜だからその報いじゃ。…」
要するに「神(アッラー=ヤハウェ)は、ユダヤ人が思い上がっているから、ユダヤ人にだけ厳しいルールを設けてやったんだ。」
こういった意味合いになります。
…ちょっと驚きですよね。
ですがコーランには、本当にこの通り書いてあります。
ユダヤ教、イスラム教どちらも豚はダメ。
でもユダヤ人にばかり食べてはいけないものが多い理由は、ユダヤ人が不遜(思い上がっている)だからだそうです。
※なお、コーランというのは、神アッラーの言葉を預言者であるムハンマドが感じ取り、ムハンマドが口にした言葉を側近が書き留めたもの。そしてムハンマドの死後数十年後に、1冊の本としてまとめあげられたものになります。
イスラム教が豚がダメな理由
コーランの中には豚肉を食べてはいけない理由は書いてありませんが、一般的にはこのように言われています。
豚は不潔であり、繊毛虫やトキソプラズマなど、様々な感染症を媒介することが昔から知られていました。
このような衛生面への配慮や、ユダヤ教と同じく、食べ物が人間と被ってしまうから、といった理由が原因だと考えられています。
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もしも豚を食べてしまったらどうなるの?
ユダヤ教の場合
「ユダヤ教」の死後の世界は、通常であればシェオールという死後の世界へ、優れているものはエデンの園、罪人はゲヘナという地獄へ行くと考えられています。さらに戒律を破った場合は、民族全体として罰も受けることになります。
他民族からの征服やバビロン捕囚、故郷を追われ、神との約束の地(パレスチナ)を失うなど、といった罰になります。
彼らはこういった民族の不幸を、自分たちが神との約束を果たさなかったからだ、と考えます。
つまり戒律を破ってばかりいると、民族に対して罰が降るという考え方です。
要するに連帯責任ですよね。
いわゆる天国という考え方は、キリスト教において、イエスが十字架の磔刑によって、人々の罪を贖ったことにより、新たに開かれた死後の世界という位置づけになります。
ユダヤ教では、メシア(救世主=キリスト)はまだ現れていないと考えており、天国の概念は明確になっていません。
イスラム教の場合
イスラム教の死後の世界
これに対してイスラム教は、天国と地獄の概念がはっきりしています。
イスラム教においてはこのように考えています。
すべての人の両肩の上には、それぞれ2人の天使が常についており、その人の良い行いと悪い行いを、全てチェックして記録している。
その人が寿命を迎え亡くなると、魂と肉体は分離し、肉体は一旦朽ち果てる。
そしてやがて「最後の審判の日」が訪れる。(まだ訪れていません)
「最後の審判の日」が訪れると、死者の肉体は復活し、魂は肉体のもとに戻る。
そして長い行列を作り、一人一人最後の審判を受けることになる。
その時、天使たちが記録した生前の行いがすべて精算される。
生前の善行が、悪行を少しでも上回っていれば「右手に帳簿」を渡されます。この人は「天国行き」。
逆に生前の悪行が、善行を少しでも上回っていれば「左手に帳簿」を渡されます。この人は「地獄行き」。
天国へ行ったものは、アッラーから永遠の祝福を受けます。
一方地獄へ落ちたものは、そこでどれだけ反省しようが、永久に出ることができません。
そこでは終わることのない、永遠の罰を受け続けることになります。
(※イスラム教の考えでは「最後の審判の日」はまだ訪れていないので、基本的には誰も天国にも地獄にも行っていないことになります。ただし、「神の名のもとに戦って(聖戦)命を落としたものだけは、即神のもと(天国?)に呼んでもらえる」とコーランには書いてあります。)
ムスリム(イスラム教徒)の本音
イスラム教の死後の世界観は、このようになっています。(コーランにはこのような内容も記載されています)
だからこそ、少しでも善行を積んでおきたいと考えます。
だからこそ、1日も休まずにメッカに向かってお祈りを捧げておきたいと考えます。
最後の審判の日まで、自分の善行が悪行をどれだけ上回っているのか、確認する術がありません。
コーランの教え、アラーの教えは、やむを得ない場合は少しくらいは例外的に破っても構わない、とコーランにも書いてあります。
ですが、最後の審判の日に右手に帳簿もらうため、そして天国に行くために少しでも多く戒律を守っておきたい、禁止されている事は極力やりたくない。
ムスリム(イスラム教徒)の皆さんは、そんなふうに考えておられます。
もし僕がイスラム教徒だったら
もちろん全ての人が、完全に死後の世界を信じておられるわけではありません。
ですが、もし管理人がムスリムであったならば、まず豚肉を食べないでしょうね。
偉そうに解説しましたが、僕も死後の世界が本当にあるのかないのかわからない。
そして、仮に人が作った世界の話だとわかっていたとしても、それでも僕は結局最後、神にすがると思う。
人間とはそういうものだと思っています。
そして、もしも死後の世界があった場合の保険として、僕はコーランの教えを可能な限り守った生活を送っていると思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ユダヤ教とイスラム教では、食べて良いものと悪いものの範囲は大きく異なります。
「反芻しないもの」(ブタなど)の他、多くの食べ物を禁じたユダヤ教に対し、豚のみを禁じたイスラム教。
しかし、豚を食べてはいけないのは共通のルールになります。
豚を食べてはいけない理由は、どちらも聖典に書いてあるから。
そして書かれている本当の理由も、食料の競合や衛生面への配慮などで、大きくは違わないようです。
しかし、もし食べてしまった場合の罰は異なります。
連帯責任のユダヤ教に対して、あくまで個人責任のイスラム教。
特にイスラム教の人口は多く、日本人がイスラム教徒の方と接する機会も多くなっています。
彼らが豚肉を食べたくない本当の理由、
それは
「最後の審判の日に右手に帳簿をもらうため」(天国へ行くため)
これをどうか理解してあげて下さい。
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