
4大悲劇で知られる劇作家「シェイクスピア」と、ドンキホーテの作者として知られる「セルバンテス」。
世界を代表する歴史上の大文豪ですが、実はこの2人、同じ「日付」に亡くなっていたってご存知ですか?
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日付が同じであっても同じ日ではない?

※シェイクスピアが生まれた正確な日にちは分かっていませんが、4月23日頃とされています。4月26日というのは洗礼を受けた日になります。

どちらも1616年4月23日に亡くなっています。
日本では大阪夏の陣が終わり、徳川家康が亡くなる(1616年6月1日)直前の頃になります。
しかし厳密に言うと同じ日では無いのです。
どういうことかわかりますか?
ちょっと考えてみて下さい。
ヒントは暦です。
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新しい暦の採用
つまりこういったことになります。
実はイングランド王国とスペイン帝国では、使っていた暦が異なります。
もともとヨーロッパでは、BC 45年のカエサルの時代から、「ユリウス暦」という暦を使っていました。
これは太陽暦の一種になりますが、1500年以上も使い続けているうちに、暦がずれてしまっていることがわかっていました。
そこでローマカトリックでは、このズレを修正した新たな暦である、「グレゴリウス暦」を作り、1582年10月から運用を開始します。
このときのローマ教皇が「グレゴリウス13世」だったため「グレゴリウス暦」と言うそうです。
※現在使われている暦はこの「グレゴリウス暦」になります。
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暦の採用はその国の自由

しかしここで問題が起こります。
実は既にイングランド王国のヘンリー8世が、離婚問題をめぐりローマ教皇と対立して、イギリス国教会を分離独立させていました。
つまりローマカトリックが、暦を新しく変えようが、そんな事はイギリス国教会には関係ありません。
英国では引き続き、これまで通りの「ユリウス暦」を使い続けます。
その結果1616年時点では、イングランドで採用されていた「ユリウス暦(旧暦)」の方が、10日間遅れてしまっていたそうです。
つまりセルバンテスとシェイクスピアは一見同じ日に亡くなっていますが、
正確には、「グレゴリウス暦(新暦)」を採用したセルバンテスの方が10日早く亡くなっており、なくなったのは1616年4月23日。
同じ日ではなかったのですね…
今も昔も、どんな暦を採用するのかはその国の自由…ということになります。
「ユリウス暦」のその後
イギリスではその後もしばらくの間「ユリウス暦」(旧暦)を採用しましたが、1752年に「グレゴリウス暦」に改暦します。
しかしロシアにいたっては、実は20世紀に入っても、この古い「ユリウス暦」を採用し続けました。
そのため日露戦争においては、同じ戦争を戦っておきながら、日露双方で日付が異なると言う不思議な現象が起こります。
しかしそのロシアも、ロシア革命を経て1918年に「グレゴリウス暦」へ移行しました。
21世紀現在「ユリウス暦」と「グレゴリウス暦」には、13日の差が生じてしまっています。
しかし正教会の中には、いまだに「ユリウス暦」を採用し続けている教会も存在しています。
中国からのヘッドハンティング

実はセルバンテスのドンキホーテは、出版当時(前編の出版1605年、後編の出品は1615年)から世界的なヒット作となり、数ヶ国語に訳されました。
そんなセルバンテスのもとに中国皇帝から手紙が届きます。
「ドンキホーテを教科書として使用したい。
カスティーリャ語の学校の学院長としてあなたをわが国に迎えたい。
中国へ来ていただけないだろうか?」
といった内容だったそうです。
つまりこれは、外国語講師としてのヘッドハンティングになります。
中国とスペインは、ユーラシア大陸の端と端。
ほぼ地球の裏側です。
飛行機もない400年も昔に、よくそんなオファーを出しますよね(汗)。
ちょっと驚きました。
当時の中国は欧州の強国であるスペインと、何とか交渉して利益を得たかったようですが、そのためにはスペイン語を学ぶ必要があります。
そこで名作ドンキホーテを出版したセルバンテスに、白羽の矢が立ったようです。
彼をカスティーリャ語の講師としてスペインから招きたかったようですが、
中国はあまりも遠い上に、セルバンテスも若くないため、お断りしたそうです。
ですが、もしこのオファーを受けていれば、セルバンテスはおそらく、中国で「外国語講師」という肩書きで亡くなっていたことでしょうね。
まとめ
シェイクスピアとセルバンテスがなくなった日付は、確かに1616年4月23日。
ですが、そこには「ユリウス暦」と「グレゴリウス暦」の違いがあり、シェイクスピアの命日を「グレゴリウス暦」に直すと1616年5月3日。
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